総研ノート:世界の各地から

トラスト・スクール ~イングランドの新たな学校の形態~

"我々は、社会的背景、経歴、家庭環境などに関係なく、すべての子どもたちとって最高な教育を提供する決心である。トラスト・スクールは、この展望から極めて重大なものである。" 
2006年 11月、トニー・ブレア国会演説より。

<トラスト・スクール成立の背景>

2005年10月、教育技術省(DfES)が発表した政府白書、『すべての子どもたちに高水準でよりよい学校を-保護者と子どもたちのためにさらなる選択を(Higher Standards, Better Schools for All -- More Choice for Parents and Pupils)』は、子どもたちが求める教育を提供するために、また教育の質、学校の質を向上させることを狙いとして発表されたものである。その中で最も議論をよんだものは、トラスト・スクールという新しいタイプの学校の設立である。トラスト・スクールは労働党政府が目指す、公教育の柔軟性、多様性、選択の自由をテーマとする試みの中のひとつで、公教育を急進的に制度面から見直し、また新しい学校のあり方を模索しようとする動きの中で導入された、新しい公立学校の形態である。

特に、イングランドの公教育における中等教育の質の低下は、若者の犯罪や雇用問題など、様々な社会問題と大きくかかわり、中等教育政策は、政府が最も力を入れて取り組んでいる教育政策のひとつである。このような背景から、トラスト・スクールは、"すべての子どもたちに最高の教育を与える"ような、救世主的学校ととなりうるべく、2006年11月、トニー・ブレア前首相により正式に発表され、具体化されることになったのである。

1997年、労働党が政権を握って以降、イングランドの学校をとりまく環境は急激に、また大きく変化してきた。特に、中等教育改革は、ここ10年、教育政策の中で、政府が最も力を注いできたものである。例えば、スペシャリスト・スクールとよばれる学校が、ナショナル・カリキュラムに重点を置きながら、各学校が専門分野(美術、ビジネスと起業、工学、人文科学、語学、数学とコンピューター、音楽、科学、スポーツ、テクノロジーなど)に力を入れることで、幅広い教育を提供するといった目標のもと設立された。その他、アカデミーとよばれる学校も存在する。

とりわけ、アカデミーは、公教育の枠組みの中で、地方教育局から独立した、新しい公立学校目指し、1990年前半、保守党が設立した当初の目的である技術分野に重点を置いた職業訓練校的なカラーを排除し、近年、何度も学校改革が行われきている。アカデミーの特徴は、公教育の枠組みの中にありながら、ビジネスセクター、宗教、ボランティア・グループなどの組織などから財政的援助を受け、学校が選択した専門分野に重点を置き、ナショナル・カリキュラムに沿う義務がなく、独自にカリキュラムや教授方法などを決定し、高水準の専門教育実践を中心に、枠にとらわれない教育を目指すことで、教育水準をあげる狙いがあった。さらに、アカデミーは、保護者参加型で、コミュニティーと連携しながら、教員、スタッフの雇用を独自に行ない、地域の必要に応じて柔軟に学校を運営することが可能である。

このように、ここ10年以上、政府は、公教育の中で、学校の専門性を重視し、また運営方式に柔軟性をもたせ、中等教育の教育水準を上げること目的とし、スペシャリスト・スクールやアカデミーに力をいれながら、幾度もこれらの学校改革を行ってきている。ではなぜ、このうえさらに、トラスト・スクールが必要なのだろうか?

<トラスト・スクールとその狙い>

トラスト・スクール設立には、さまざまな理由が考えられるが、そのひとつは、アカデミーの成果がまったく期待どおりにならず、アカデミーの教育の質の低下が問題視され、またその学校運営の在り方や資金運用について、昨今、各所から批判が上がり、アカデミーは政府の教育政策の非難の的となっている。
そのため、まずトラスト・スクール導入の一番の目的は、学業成績の低い学校の学力を上げることであった。
その他、トラスト・スクールが期待されているものとして、地域のもつ問題、たとえば、若者の犯罪や反社会的行動を防止するために、学校と地域の連携を強めながら、学校や地域が希望する、特色のある学校づくり、地域密着型の学校づくりを、新しい学校運営方式によって目指すことである。

つまり、トラスト・スクールは、学校の建て直し、学校が抱える問題を解決するために、また独自の教育的取り組みの実践するために、トラスティーのアドバイスに基づき、効率よく学校を運営するといった新しいタイプの学校を公教育の枠組みの中で作り出そうという試みである。トラスト・スクールは、例れば、企業がコンサルタント会社を活用し、業績をあげようとする仕組みに少し似ている。

まずトラスト・スクールになるためには、トラスト・スクールに名乗りをあげた一般公立学校は、土地、建物を地方行政局に査定を願い、それをトラストに委託する。学校は、学校運営をトラストに委託しながら、学校のニーズに合わせて各自の学校を建て直すことを目的とする。学校は、各校の達成目標にあわせ、パートナーが選ぶのであるが、現在トラストになりうる団体として、ビジネス・セクター、チャリティー(慈善団体)、地域の団体、大学、Further Education (継続教育カレッジ=生涯学習専門機関)などがあげられる。

トラストは、非営利目的の団体であるとされているが、ビジネス・セクターなどは、将来の雇用を目的としてトラストになることを認められている。トラストは、地域のあるひとつの学校を運営し、時には、地域の複数の学校を一緒に、あるいはイングランド内の学校を数校、同時に運営することも可能である。運営方式として、学校は、トラスト・スクールになるために、学校が設定した目標、プログラムなどを、複数またはひとつのトラストから、トラスティーが各学校に派遣され、トラスティーが委員会を組織し、学校運営組織と協力しながら、実際の学校運営の指揮をとる。
学校は、トラスティーの協力のもと、目標とするプログラムを実践に移すために協議をかさね、段階を踏みながら、一定の準備期間を経て、さらに、プログラムの実践評価を受けトラスト・スクールになることが許可される。この複雑な査定が意味するものは、トラスト・スクールに名乗りをあげたすべての学校が、トラスト・スクールになれるわけではないということである。

現在、正式なトラスト・スクールと認定された学校は、イングランドに1つ存在するのみで、この学校も、2007年9月にトラスト・スクールになったばかりで、まだ1年が経過していない。来年は、60校が、正式にトラスト・スクールとして開校を予定しているが、現段階で60校のうち何校がこの9月の新学期に、正式にトラスト・スクールになるか現在の段階でまだわからない。
さらにイングランドで400校が、トラスト・スクール試用段階にある。先に述べたように、トラスト・スクールになるには、政府が定めたいくつもの段階を経なければならない上に、査定に一定の期間を要する。つまり、実際、トラスト・スクールとして運営こぎつけるまで、かなりの過程、段階を経なければならず、トラスト・スクールになるには一苦労である。

これほど、トラスト・スクールの実践に向けて慎重なのは、政府が、アカデミーやスペシャル・スクールが思うような成果をあげることができなかったためで、学校運営に非常に慎重になっていることがうかがえる。特に、ここ数年、アカデミーに対する、批判は大きくなるばかりである。

実際、アカデミーは、設立目的も形態も非常にトラスト・スクールに非常に似ている。両者とも、教員や学校事務員の採用・雇用とも独自に行うことができ、特に教員に関しては、正規の教員免許をもたない教員も、学校が認めれば教員として雇用することが可能であり、これに全英教員組合(NUT)が批判的な立場にある。

しかし、この2つの学校は、学校運営の形態と管轄が異なる。まず、トラスト・スクールは地方教育局(LEA)、アカデミーは教育技能省(DfES)の管轄となる。一番の大きな違いは、学校の運営形態である。先述のように、トラスト・スクールは、トラスティーが、学校運営組織とともに、相談、協力のもと学校運営を行ない、アカデミーの場合は、学校運営組織のみで学校を運営する。ここで注目したいのが、保護者の発言権と学校運営参加権である。

アカデミーでは、保護者が学校運営組織に属し、直接学校運営に参加ができ、またその発言権も大きい。しかし、トラスト・スクールでは、保護者はあくまでも、学校運営組織内のメンバーの一員というだけで、アカデミーのように、直接学校運営にかかわることができない。トラスト・スクールでは、あくまでもトラスティーが主に指揮をとる形で、学校運営組織とともに、学校を運営していく形をとる。
つまり、これは、保護者の発言権や決定権を学校運営の場から弱らせようとする目的があると考えてよいだろう。

さらに、トラスト・スクールが、ナショナル・カリキュラムに沿った教育を行なうことを義務付けられているのは、アカデミーがナショナル・カリキュラムに沿わなかったためにアカデミーに所属する学生のGCSE(全国統一試験)の結果が芳しくないという意見が多く、ようやく、2007年9月よりアカデミーは、ナショナル・カリキュラムを義務づけられことにはなったが、状況の改善は未だにみられず、現在、アカデミー存在の意義さえ問われ始めている。
こうして、新しい教育の形態を求めて、政府のさまざまな思惑と狙いのもと、トラスト・スクールが設立された。

<トラスト・スクールと今後の展開>

ここで、まだ正式にトラスト・スクールにはなってはいないが、今年の新学期以降、トラスト・スクールになりうる可能性のある、現在査定段階のプログラムを2つ紹介したい。

まず、ひとつ目の取り組みは、ロンドンのある公立学校が、イングランドでは、イートン校とならぶ、パブリック・スクールの有名校、ハロー・スクールがトラストになり、学力不振にあえぐ、ロンドンのウエンブリ-にある、公立中等学校の建て直しを図ろうというものである。
具体的な施策として、ハロー・スクールの教員がウエンブリ-の公立学校で教え、ウエンブリ-の教員たちは、ハロー・スクールで研修を行ない、さらに教員同士の交流を通じ、数年内に、この公立学校の全国統一試験の順位を押し上げることを目標としているケースである。 

もう一つは、エクセター大学が、地域の2,3の学校のパートナーとして提携を深めながら、これらトラスト・スクール候補の学校にて、エクセター大学の教員養成機関に属する学生の教育実習を行い、大学は、大学の教員養成部門を強化し、さらに、大学教員がこれらの学校で、様々リサーチを行うことを計画している。
これは日本における教員養成系大学の付属校のような形になろうと予想されるが、大学と学校両者が、地域密着型の大学、地域密着型のトラスト・スクールを目指し、また、新たな大学のあり方や教員養成のあり方を求めるエクセター大学の試みとトラスト・スクールとして学校を立て直そうとする学校の両者の思惑が合致したケースである。

現在、政府はトラスト・スクールを、中等学校ばかりでなく、初等学校にも広げようとしている。
この狙いは、政府が、中等学校の段階で教育の大切さをいくら謳っても、もうすでに遅く、早めに子どもたちに教育の大切さを理解させ、また学習意欲を高め、学校からドロップアウトすることを防ぐ必要があると考えているためである。
さらに、地域の初等学校と中等学校の連携を深めることにより、問題を抱える生徒や地域を、地域の初等、中等学校が協力して対処を目標としている。

しかし、現在、トラスト・スクールの実践例が少なく、トラスト・スクールを評価するには、あと数年は必要であると思われる。その上、5月はじめの地方選挙で、労働党がかなりの議席を減らした為に、今後の政局の成り行きで、労働党から保守党に政権が移行した場合、トラスト・スクールが、政権交代後も存続するかどうかが非常に興味深いところである。
さらに、現在、トラスト・スクールの一番の問題は、多くの教育機関、教育関係者、学校関係者がトラスト・スクールの存在をしらない、あるいは、トラスト・スクールが何かを理解していない。驚くべきことに、今回取材を行ったトラスト・スクール事務局の関係者の中でさえも、情報の混乱があるように見受けられる。

今後、トラスト・スクールが、イングランドの公教育にどれほどの影響を与え、果たして政府が望むように、"すべての子どもたちに最高の教育を与える"ような、救世主的学校となりうるのか、今後の発展、展開をしばらく見据えたい。

西田 幸代(前ロンドン大学教育研究所研究員)

2008年5月26日