総研ノート:海老原教育理論と日教組運動

三つの時期区分

海老原治善(はるよし)先生は1926年6月6日に東京でお生まれになった。1945年に東京高等師範学校文科に入学、49年に卒業後、同研究科、東京教育大学教育学部教育学科を卒業された海老原先生がその研究生活のなかで、日教組運動に与えた影響はきわめて大きいものがある。

しかし、国民教育文化総合研究所の初代所長に就任され1年強でお倒れになり、10数年の闘病生活の後、2005年8月に逝去された海老原先生を直接に知る日教組中央執行委員がほとんどなってしまった今、海老原先生の影響を知る人は当然ながらほとんどいなくなってしまった。

したがって、日高六郎先生、宮坂広作先生そして黒沢惟昭さん(黒沢さんの時から、代表制に)に引き続いて海老原先生の任務を受け継ぐことになった筆者にとっては、その影響を概括し、広く、日教組関係者に知ってもらうことは大きな課題であると考えている。

なお、広範囲におよぶ海老原教育理論については、教育総研の第一期教育理論研究会に参加したメンバーを中心にして『教育理論の継承と発展?海老原教育学の地平を踏まえて』(アドバンテージサーバー、2001年4月)で論じているのでぜひ読んでもらえればありがたい。

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2006年10月 1日

私と海老原先生

私が先生とお会いしたのは、1978年か79年の頃である。それまでは、『日本教育政策史』を著わされていた教育政策研究の第一人者として、名前しか知らなかった。

それまでは持田栄一先生(東京大学)が主宰されていた「教育計画会議」に、東京教育大学大学院の研究室先輩であった岡村達雄さん(現在、関西大学)に連れられて参加しており、日教組運動に深く関わっていらした海老原先生とはちょっと立場の違う研究会で学んでいた。大学院生の頃である。

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2006年10月 1日

参加された主な委員会(第II期の頃)

■年表
1971年12月1日〜1974年
教育制度検討委員会に専門調査委員として参加。委員・専門調査委員は超豪華ともいうべきメンバーであった。

1974年11月〜1976年
北海道教職員組合「学校五日制・週休二日制検討小委員会」に共同研究者として参加

1981年12月1日〜1983年7月19日
第二次教育制度検討委員会に委員(事務局兼任)として参加

1984年1月13日〜
教育政策検討協力委員会(教育改革推進研究委員会になり、筆者も参加)に座長として参加

1985年2月9日〜1986年6月
教育改革研究委員会に参加

第III期
1989年5月
教育改革推進委員会・研究者会議(座長、小川利夫さん)に参加

1991年8月1日
国民教育文化総合研究所の初代代表に

この間、兵庫県教職員組合、川崎市教職員組合、沖縄県教職員組合の委員会に参加。
また、自治労の研究集会助言者や社会党教育改革案づくりに参加されている。

代表・嶺井正也(専修大学教授)

2006年10月 1日