総研ノート:コラム
学習指導要領改訂、保健体育「武道」必修化の批判検討
文部科学省が2008年2月15日に発表した小中学校の学習指導要領改訂案には、「教育基本法の改正に対応した学習指導要領案の主な改定点」と称し、第2条(教育の目標)第2項第5号「伝統と文化の尊重、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し、他国を尊重、国際社会の平和と発展に寄与」の関連内容として、保健体育の分野で「武道を必修化する」とした。
今まで、選択であった「武道」を必修化するのであるから、学校教育において、体育の時間に武道を通して、「我が国の伝統や文化を尊重し、我が国と郷土を愛する」とする「愛国心」を、子どもたちに植えつけるための手段として位置づける以外の何ものでもない。
さらに、「指導計画の作成と内容の取り扱い」において、前学習指導要領にはなかった文言として「道徳の時間などとの関連を考慮しながら・・・保健体育の特質に応じて適切な指導をすること。」を追加している。このことは、明らかに、保健体育という授業を通して、道徳心を注入させるというものである。「戦前回帰もはなはだしい。」の一言につきる。
では、学校教育および学習指導要領の保健体育に、「武道」がどのように取り入れられて行ったかその歴史的変遷を振り返ってみたい。
「剣道」は、明治に入ると武士道という支持基盤を失い、教育界への道を探り始める。木剣体操法などを考案し普及していく。中学校における「剣道」「柔道」は随意教材化(選択)として、1911年(M.44)にあらわれ、1931年(S.6)には「わが国固有の武道にして実質剛健なる国民精神を涵養し、心身を鍛錬するに適切なる」もの(中学校施行規則)として必修化された。
教育法規上の用語としての「武道」は、1939年(S.14)に初見する。それは、5月29日付文部省令第45号をもって、小学校施行規則第10条第3項の一項「尋常小学校第五学年以上及高等小学校ノ男児二対シテハ教授時間ノ外ニ於テ前二項ノ教授取扱ニ準シ武道ヲ授クヘシ」が加えられた。これによって、それまで柔道(柔術)、剣道(撃剣)と称されていたのが法規上初めて「武道」と総称された。太平洋戦争が開始された1941年(S.16)には、国民学校の5,6年に、さらに1943年には高等女学校でも必修とされた。
1941年の国民学校令では、「体錬科武道」として位置づけられ、さらに、「大東亜戦争完遂に関して国民学校各教科目上留意すべき点」として「体錬科」を「一層重視して指導すること」とした。
大戦後は、教練や武道など軍国主義・国家主義的教材や号令による画一的一斉指導法などを禁止した。1946年(S.21)文部省の「新教育指針」第三冊第五章「体育の改善」の「二、体育はどんな風に改められるべきか(二)教練的な取り扱ひ方の廃止」では、「次に教材の取り扱い方に関しては、軍事教練的な行き方をやめなければならぬ。これまでは教練以外の教材の取り扱いも教練との結びつきを重んじて、形式的訓練の面を強調してきたのであるが・・・、一切これを廃し、体育運動本来の特色を活かすことにつとめなければならぬ。・・・」と通知された。ここで、「体錬科武道」が国家道徳や服従の精神などを叩き込む方法となることが否定された。
その後、柔道は1950年(S.25)、剣道は1953年(S.28)に復活する。この時期は運動教材とし、中学校の男子生徒に14種目の中心教材(相撲を含む)と15種目の選択教材(柔道、剣道を含む)に細分され位置づけられていた。1953年の小学校学習指導要領(試案)は、「生活から出発し生活にかえる」ことが重要とし、「生活体育論」(教師中心の一斉指導に代えて児童中心のグループ問題解決型学習)でスポーツ・レクリエーション的活動が中心となっていた。
1958年(S.33)からは、相撲に加え、名称も新たに「格技」として再登場する。終戦直後に禁止された「武道」は、1950年代に次々とスポーツ(外国の格闘スポーツ、レスリングなども教材としていた)として復活してきたが、それらをまとめてcombativ sportsの訳語である「格技」という名称があてられた。「格技」は、1958年の中学校学習指導要領(告示)に現れた。保健体育に運動領域の概念が導入され、7領域(徒手体操、器械運動、陸上競技、格技、球技、水泳、ダンス)に分類された。その際、中学校生徒については「格技」の柔道、剣道、相撲のうちから1種目を選択履修させることと定められた。
各運動領域についてそれぞれ、①技能②態度③健康・安全に関する細かい内容が並列的に示された。指導方法については、「グループ学習」が、児童中心の問題解決学習という重要な柱を欠いたままで、一斉指導や個別指導とともに技能や態度の育成のための方法のひとつとされた。運動技能の学習とは内容的関係をもたないままに、「態度主義」が台頭してきたことが1958年の中学校学習指導要領(告示)の特徴である。「約束や決まりを守る」ことや「責任を果たす」ことだけが一方的に強調されるなど、民主的性格とは相容れない態度の育成がねらわれていた。
1950年代の背景は、今回の「改悪」、いわゆる47教育基本法の改悪から指導要領の改正、そして「道徳」教科の強調路線へとあらわれた流れと大変似通っている。50年代には、日の丸掲揚、君が代斉唱が望ましいとする文部省通達や、教育基本法見直し論も出た。また、「教育勅語にかわるべき道徳要綱を『国民実践要領』のかたちで出したい」と発言して物議をかもした天野貞祐文相が、1951年秋の国会で「天皇は国家の道徳中心である」と答弁して、世論のはげしい批判を浴びるなど、全般に修身復活の気運があらわになっていった。1957年には、「小・中学校における道徳教育の特設時間について」を発表、1958年には「道徳教育の基本方針」を、学習指導要領の告示に先立ち別冊で出し、学校教育法施行規則一部改正によって、「道徳」が正式に教育課程の一領域に位置づけされた。
1960年代の学習指導要領は、東京オリンピック(1964年)に向けてのスポーツ科学・体力科学の発展と結びついて出され、「体力つくり」が主目的であった。体育の授業は、スポーツや体操、舞踏などの文化的内容を享受する喜びを欠いた「体力」の調教の場と化した。さらに、戦前・戦中の教練をそのまま復活させるような「集団行動の手引き」が発行(1965年)され、「愛国心」や「礼」を強調する格技の「武道」化の動きが強まるなど、体育の徳育化が一段と進められた。
1977年(S.52)の学習指導要領(小学校80年実施、中学校81年実施)は、運動の「楽しさ」を強調し、体育の「生活化」と「生涯にわたる運動」をめざし、同時に、60年代の高度成長期の能力主義教育政策の反省にたち「個に応じた教育」をうたう「楽しい体育」が打ち出された。
しかし、1989(H.1)年の学習指導要領(小学校92年実施、中学校93年実施)は、「個」に応じて「運動の特性に触れる楽しさ」を味わうことを通して「楽しい体育」を前面に立てる一方で、「わが国固有の文化としての特性」を生かすという理由で、これまでの「格技」が「武道」に改称された。スポーツとは、異なる「武道」の特性として、「礼節を重んじる」ことや「伝統的な行動の仕方」が重視された。技術の合理的学習よりも、神棚に礼をし、正座して精神的な訓話を聞くというような「学習」が重視された。このような「礼節」や「行動の仕方」の重視は、管理主義と容易に結びつきやすいものとなることは、過去において「武道」が果たしてきた役割や、その廃止とスポーツとしての復活の過程の歴史を振り返れば明らかなことである。(当時の福教組教育新聞「『部活動について』生徒指導、非行防止?」参照)
この期では、特別活動における「日の丸・君が代」の強制、社会科の歴史学習における「理解と敬愛の念を深める」という天皇のとり扱い、国語や英語になどにおける「国際社会に生きる日本人としての自覚」の強調など、一方的に国家主義イデオロギーを注入するような科学的認識に裏づけされていない特異な道徳観の押し付けがあった。(社会科では歴史の評価を国家が行い、42人もの人物を指定して天皇や軍人を美化している。小学校低学年では、社会科と理科を廃止して、社会的、自然認識を抜きにした「技能や生活習慣」を身につけさせる「しつけやきまり」に重点を置かれた「生活科」が新設された)
1998年(H.10)の中学校学習指導要領は、完全学校週5日制を導入することで、「ゆとり」と「生きる力」を全面に押し出してきた。保健体育の「改善の基本方針」では、「武道については、わが国固有の文化に触れるための学習が引き続き行われるようにする。」とあり、「内容」でも「礼儀作法を尊重して練習や試合ができること」とあるように、89年時を踏襲し深化するよう位置づけてられている。
戦前、戦後とこれまでの「武道」の変遷を振り返ってきたが、今回の「武道の必修化」のねらいは、冒頭にも述べたように、教科としての体育の学習内容と離れた徳目や精神の注入を、中学校の全生徒に課すことである。「礼節」や「正座」などの「行動の仕方」が強調され、06教育基本法の第2条各項の「~する態度を養うこと。」が、具体的に学校現場に現れるということである。戦前の「体錬科武道」が果たしてきた役割を復活させることになる。
学校教育の中で、教科としての体育(「武道」だけにかかわらず)が果たしてきた役割は、「運動していれば非行に走らなくてよい」「汗を流せば精神的にスカッとする」「集団行動に適している」「スポーツマンシップ(マナー)が身につく」などに見られるように、精神論や態度面を学ぶためのものであった。近代スポーツを取り入れた体育でも、競争主義を学ぶためのものであるかのように扱われてきた。
私たちが体育の授業で扱っているスポーツや武道などの種目が、どのような歴史的変遷を経て社会的・文化的な位置づけがなされてきたか、批判的に解明することが必要である。そして、それらの文化(教材として扱っている種目)に内在している法則や原理を「わかる」ようにすることや、それを、一人ひとり異なった能力や個性を持つ子どもたちであることを前提として、集団として科学的に探求する方法を学ばせることが必要であると思う。
※参考文献 学習指導要領(文部省)、学校体育辞典(松田岩尾、宇土正彦)、改定学習指導要領批判と私たちの課題(保健体育編:日教組)、福岡県教組40年史、身体教育の神話と構造(岡崎勝)、体育教師をブッ飛ばせ(岡崎勝、土井俊介、山本鉄幹)、みんなでトロプス(影山健、岡崎勝)、47教育基本法、06教育基本法 他
2008年4月14日
