総研ノート:書評・図書紹介
引きこもり狩り
アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判
●編者:芹沢俊介
●発行:雲母書房
●体裁:四六判/250ページ
●定価:1600円(+税)
芹沢俊介氏は、「引きこもり」について積極的に発言されている。2006年4月18日、名古屋市内の「引きこもり支援施設」アイ・メンタルスクールでおきた26歳の男性事件について、なぜ、この事件がおきたのかを考察するものである。内容は、以下である。
緒論 「善意の道は地獄へ通じる」ということ(芹沢俊介氏)
1 アイ・メンタルスクール事件報道の概要(川北稔氏)
2 予期された事件(山田孝明氏)
3 長田塾裁判で問われていること(多田元氏)
4 引きこもり狩り(高岡健氏)
5 誰の支援か(梅林秀行氏)
6 家族と信仰(芹沢俊介氏)
付録 シンポジウム:
緊急シンポジウム「アイ・メンタルスクール寮生死亡事件を考える集い」
あとがき 芹沢俊介氏
この事件については、「引きこもりへの十分な公的支援制度がなかった」とか「宿泊型の支援活動に対して合法性や人権的配慮のチェック手段がなかった」「他では断られたギリギリの子どもたちを預かっていた、その実績は認めるべき」などという視点で問題性を論じられた。だが、アイ・メンタルスクールでの日常的な暴力は、「支援」の名でなされていたものである。
緒論で芹沢氏はいう。支援という「善意」の殺人、これが事件の本質である。そのため、「支援のあり方」までさかのぼって問うものでなければならない。支援は、支援される側を主体に、その必要性を軸になされるべきであり、決して支援する側が自分の価値観、知識、技術、経験を「善意」でもって押しつけ、支援される側を主導するものであってはならない。支援される側に即して、そこに必要なものが何であるかを探すこと、探しあてた必要性を、支援される側を主体に現実化しようとする、その一連の作業であり、動きである。「支援」という言葉は〈する〉にからめとろうとする。だが、支援には〈する〉以前がある。そこに〈いる〉ことでよい場合もある。〈する〉ことを留保し、自分を360度子どもに開いておく、子どもに差し出しておく状態におけば、子どもの必要性への表出を受け止めることができる。〈いる〉ということは力をもっている。居続けることのもたらす信頼性である。そのような信頼性があってはじめて支援は支援としてその実質を満たす条件が整う。
「引きこもり問題」に関わりの深い論者たちの検証が並ぶが、どの論者も支援のあり方について、根本から問うている。
学校教育においても、「支援」という言葉が拡大しているが、私自身、その中身や手法を省みる必要があると以前から考えていた。「不登校」問題とのかかわりも深く、是非多くの方々に読んでいただきたい。
2007年3月30日
