総研ノート:コラム

子どもの死が訴えるもの

いじめを訴え、自ら命を断つ子どもの報道が続いています。不幸なことに日本の社会は子どもの自殺をめぐって過去に2回、大きく揺れました。

3回目の今回、発端になったのは北海道滝川市の小学6年生が、昨年9月に教室のスライド映写用スクリーンのはりに紐をかけて首をつり、意識不明のまま今年1月に亡くなった事件です。教壇の上に7通の遺書が残されており、「死んだら読んで下さい」と書かれた遺書には、受けていたいじめの内容が書かれていました。しかし、市教育委員会は、「遺書の中身自体は学校でよくあること」で、「原因は特定できない」と、いじめと自殺との関係を否定したことにありました。12歳の少女が学校で傷つき悩み、絶望の果てに命を断ったという現実をみようとせず、責任を問われることをおそれ保身のために抗弁する教育委員会の姿は、最後に手のひらをかえ、いじめによる自殺を認めたものの、情けないものでした。

テレビを通して二転三転する大人たちの言葉を聞いた日本中の子どもたちの不信感を想像すると、暗澹たる気持ちになります。

その報道が続く渦中、10月11日に今度は福岡県筑前町で、中学2年の男子生徒が「いじめが原因です。いたって本気です。」と書いた遺書を残して命を断ったのです。弔問に訪れた学校関係者のうち、1年の時のクラス担任が遺族の詰問に、「からかいやすかった」と応じ、いじめの引き金を引いたことが明らかになりました。私は一瞬言葉を失い、人格形成にとって極めて大切な思春期の子どもたちを集めた教室で、人間関係の要の部分が、大人の側から崩されていく現実を知りました。

さらに、当初はいじめを認めていた校長が、自殺といじめの関係について言を左右し始めました。テレビで放映される校長の記者会見の様子をみていると、校長はどこを向いて誰のために釈明しているのか、判断に苦しむものでした。少なくとも命を断った子どもと、同じ中学校に在籍する多数の子どもたちに向けられているとはとても思えませんでした。

自然災害や交通事故などが起きた時、子どもの死を悼んで涙する学校関係者の人間的表情とはまるで違った表情です。その後に続いた子どもたちのいじめ自殺に関する報道でも、よく似た、“心にふたをした”硬い無表情です。誰が彼らにあのような態度と表情をさせるのかと思うと、その背後にある“見えざる大いなる力”を感じざるを得ません。

一日の多くの時間を学校で生活する子どもたちにとって、命にかかわるような危機的状況に遭遇したとき、学校の中の大人は子どもたちを助けられない、理不尽な立場に陥った時、その正当性を誰も証明してくれない、ということに子どもたちはあらためて気づいたのです。

いじめの標的に選ばれ、周囲の大人が自分を助けてくれないと感じた子どもが、“見えざる力の頂点”にいる文部科学省の大臣に直訴状を書くという直接行動に出たのは必然だったのではないでしょうか。

最初に文部科学省に届いた1通目の封筒の裏に「いじめが原因での自殺予告文と、いじめ自殺は因果関係がある証明書。在中」と書かれていたということです。

今まで命を断っていった何人もの子どもたちが、いじめられた実態と苦境を書いて訴えたにもかかわらず、それを学校が認めない現実を前に今、死のうと思いつめている子がいじめと自殺には因果関係があると予告するほか方法はないと考えたのでしょう。予告文の最後に、「僕の名前は・・自殺のニュースでみんなに知らせて下さい。お願いします。」と書かれていました。この文面は既に命を断っていった何人もの子どもたちの、死んでなお理解されない無念な想いを代弁するかのようです。

この予告に関する受けとめ方は多様ですが、今いじめに苦しんでいる子どもの気持を写し出す鏡のような役割を果たしていると思います。

いじめを訴えて自ら命を断つ子の死は、個人的な死であると同時に、大人の鈍感さと無力さに抗議する社会的な死でもあると訴えかけてきます。

そして、今朝のテレビや新聞では、大阪府冨田林市で中学1年の女子生徒と、埼玉県の中学3年生の男子生徒が、自ら命を断ったと伝えています。いずれもいじめが色濃く浮かび上がってきています。まったなしの子どもたちの命の危機を、大人たちがどう受けとめ、どう動くのか、全国の子どもたちが息をつめてみているのがひしひしと伝わってきます。教育現場とともに大人や社会が、子どもたちから問われています。

いじめを訴えて命を断った子どもたちは、学校に行き続けていました。しかし、親には「学校を休みたい」「部活をやめたい」と伝えていました。いじめの現場である学校からの脱出口は、学校を休むことです。

しかし、学校化された社会の価値観と文部科学省の不登校対策(学校復帰策)は、子どもたちの“非常口”をふさいでいます。

死を選ぶ子どもたちが後を絶たない今、伝えたいことがあります。

子どもたちへ
「学校は命をかけてまで行くところではありません。」
「学校の外にも子どもたちが学び育つ世界が豊かにひろがっています。」

運営委員 内田良子

2006年11月30日