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    <title>総研ノート</title>
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    <title>【図書紹介】広田照幸・伊藤茂樹『教育問題はなぜまちがって語られるのか』（日本図書センター、2010・10刊，1500円＋税）</title>
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    <published>2011-08-03T05:06:34Z</published>
    <updated>2011-08-04T02:52:06Z</updated>

    <summary>「教育問題」を素材にリテラシーを語る ―世にあふれる「わかったつもり」への処方箋...</summary>
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        <category term="書評・図書紹介" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/">
        <![CDATA[<p><strong>「教育問題」を素材にリテラシーを語る</strong><br />
―世にあふれる「わかったつもり」への処方箋―</p>

<p>　この本は、主タイトルよりもサブタイトルが内容を適確に表している。それが「『わかったつもり』からの脱却」。リテラシーについての基本を学びながら、「教育問題」を正しく認識し考え評価するための筋道も見えてくる、という本なのだ。リテラシーを学ぶ入門書として、ぜひ多くの人に、とくに教職員の方々にお読みいただきたい。リテラシーとはまさに《学び方》の過程なのだから。</p>

<p>◆論や観のはるか以前の事実認識の間違い◆<br />
　著者も「本書で読者のみなさんに伝えたかったことは、結局のところ、教育問題についての『リテラシー』を高めることの大事さと、そのためには何が必要かということでした」と書いている。だが、"教育問題についての特別なリテラシー"などがあるわけではない。述べられているのは、情報・知識へのリテラシーを高めて教育問題を正しくとらえることの大事さと、そのために必要な編集的な方法である。<br />
 　逆を言えば、「教育問題」がいかにデタラメに語られ、歪んで論じられているかが、リテラシーの基本に照らして、じつに分かりやすく理解できるとも言える。「教育問題」が抱える「まちがい」は、教育の本質や論や観よりはるか以前の問題、つまり事実の捉え方や評価・選択の仕方、問題点の抽出の方法や問いのたて方に間違いがあるのだ。しかもそれは、教育問題のみならずで、さらに論じ伝える側（論者やメディア）にも、情報の受け手の側にも言えることなのだ。だから、「教育問題はなぜ間違って語られるのか？」と主タイトルに掲げながら、書かれた内容の主軸はサブタイトルの「『わかったつもり』からの脱却」にならざるを得ないのだろう。<br />
　もちろん、教育の本質や論や観の「まちがい」によって間違った教育論や政策が主張される例は少なくない。教育論として「教育問題」が抱えている問題点を明らかにしようとすれば、教育の本質やあり方や教育観を述べ、それに照らして批判的に語ることになる。しかし、その教育の本質や論や観のどれが正しいかは、学問上・思想上の論争にもなる。だが、事実認識の「まちがい」は、リテラシーに照らして浮き彫りになる。本書で、教育とは何か、どういう教育が望ましく正しいかということに、あえて踏み込まないゆえんだろう。<br />
　 いわゆる「教育問題」は、リテラシーが低い状態で捉えられた事実認識に基づいた世論や政治的主張として語られ、世にはびこっていく。「わかったつもり」の考え方や主張だから、本質論や教育観の正論が通用しなかったりする。見回せば、学校教育には、こういう「問題」がごろごろ転がっていよう。そういう「問題」に気付くためにも、本書は有効だと思われる。</p>

<p>◆学校教育は"「わかったつもり」量産機構"◆<br />
　読んでいて気付かされるのは、じつは学校教育そのものが"「わかったつもり」量産機構"なのではないか、ということだ。例えば、大学生の「コピペ問題」は、その表れのひとつではないか。先生が教えてくれた「正解」をそのとおりにコピー&ペースとすれば花マル100点、というお勉強の積み重ねの"成果"が、大学生のコピペとして実っている!? のではないか。<br />
　大学生たちは、インターネットで得られる情報を、気軽に丸飲みするようだ。情報を疑ったり批判したり検証したりする構えに乏しい。しかし、情報は誰かが「編集」して、情報として流通する。編集するということは、情報素材を取捨選択し、並べ替え、考察し、方向付けして、情報として整えるということだが、この過程で必ず編集するものの意図が潜り込まされる。<br />
　このことに、大学生たちはとても無関心だという気がする。しかし、情報が必ずくぐっている「編集」の過程、その過程で必ず潜り込んでいる編集意図を、しっかり問わないと、編集したものの支配を受け入れることになる。自ら、情報的（知的）な侵略を受け入れ、情報（知）の奴隷になる、ということだ。<br />
　こうした傾向は、"「わかったつもり」量産機構"が生んだものだ。学校教育においては、学習指導要領も教科書も教科編成も教育課程も、意図が込められたものとして編成されている。その意図が、できるだけ公正で憲法の精神にのっとったものであるよう求められるのは当然だが、じっさいには政治的意図に満ちている。その中で、教員がつくる授業案にも教科書の使い方にも教員の意図が入る。もし、その教員の意図が入らないのなら、その授業案も教科書の使い方も「コピペ」ということになる。そういう教員の授業を受ける子たちは、二重にも三重にもコピペを強いられることになる。<br />
　教職員の方々には、この本を読みながら、例えば自分の仕事についてのこんな問い返しをしてほしい。教員とは「教育編集者」なのでありリテラシーの実行者なのだから、リテラシーを身に付けていることを求められている、と言えよう。本書の著者は、教育の本質や教育観への言及を控えながらも、リテラシーを踏まえた事実認識がしっかりできれば、その先に事実認識を越えたものが見えてくる、と確信しているにちがいない。</p>

<p><br />
◆リテラシーは学び方・学ぶ力◆<br />
　「リテラシー」とは、私見を述べれば、《情報・事実にアクセスし、必要な事柄を取り出し(取材し)、評価して選択し（問いを立て考え判断し）、並べ替え（意味を取り出し）、自分なりの答え(意見・見解)を出し、表出する――という一連の行為（編集過程)である。この過程はそっくり、学びのプロセスと重なるものである。リテラシーとは、自ら学ぶ力の内実、つまり「学び方」だと考えてよいのではないだろうか。<br />
　「教育学を勉強したい、教師になりたいといって大学に入学してくる学生に、社会科学的なセンスがまったくなかったりするんだよねー。・・・」「ちゃんと社会科学的な視点を身につけて、教育の問題を考えてくれれば・・・」というのが、著者の本書執筆の動機。このセンスや視点は"「わかったつもり」量産機構"では育ちようがない。それを批判する書として読んでもいい。<br />
　リテラシーとは、けっきょく、自分の頭で物事を考える、つまり自分の頭脳の力を自らコントロールするための方法と考え方だと言ってもいいのだ。</p>

<p>   長谷川　孝</p>

<p></p>

<p><br />
</p>]]>
        
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    <title>PISA2009の結果をイタリアの新聞はどう報じたか？？</title>
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    <published>2011-01-11T05:08:39Z</published>
    <updated>2011-01-11T05:11:50Z</updated>

    <summary>　１２月７日はミラノの守護聖人、サンタアンブロージョの日であり、ミラノ市だけの地...</summary>
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        <![CDATA[<p>　１２月７日はミラノの守護聖人、サンタアンブロージョの日であり、ミラノ市だけの地方祭である。従って、この日、ミラノ市内の学校、郵便局、銀行は休みに入り、市内のすべての機関がストップする。尚、この日はオペラの殿堂のスカラ座のシーズンオープニングの日である。この日は世界中のVIP達が華麗なドレス、タキシードを身にまとい、スカラ座に集合する。今年はワーグナーの作品で華々しく開幕した。が、スカラ座正面に位置し、イタリアが誇る芸術家兼科学者、レオナルドダヴィンチの石像を中央に構えたスカラ座広場では、大々的なデモが行われていた。その目的は「文化事業、教育機関に対する政府の予算削減」に対する抗議である。確かにこのところの政府の経費削減はひどい。「病欠した先生のかわりをしてくれる先生が足りないから今日も２時間ブランクがあった」「こわれたドアも修理してもらえるお金がない」などと、中学生の私の長女にも目につくほどの、「お金のなさ」である。先日は長男の小学校で、「４０ユーロの任意の寄付」の案内があった。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　皮肉にもその日、７４カ国参加したOcseのPisa 結果が発表された。私は、イタリアのマスコミに発表される以前に、ニューヨークタイムズで結果を知っていたので、「こんなときに、こんな結果で」と、日ごろは好感の持つ事ができない文部大臣に、情けを感じた。私の心配をよそに、次の日の新聞を開けたら、文部大臣は「私の教育改革のお陰で、イタリアの成績はアップした。」と御満悦だった。しかし彼女が文部大臣になったのは２００８年であり、今回の試験が施行されたのは２００９年の４月である。全くと言って関係ない。イタリアでの大手、コリエッレデッラセーラの記事を簡単に紹介しよう。<br />
優秀な生徒はロンバルディア州にいる（見出し）。我国、イタリアはまだまだ低い水準にある。（ポルトガルやポーランドよりも下）しかしイタリアの成績についてはふたつに分けて考慮されるべきである。北イタリアはレベルが高く特にロンバルディア州での結果はどの教科においても１位を占めている。それとは対象的に、南イタリアは芳しくない。（PISAの結果が悪かったのは南イタリアのせいだ）しかし、一方で「ポジティヴな変化（前の結果よりましになった）を遂げた国」という評価を得ている。<br />
　このように、あくまでもマスコミは「よくなった」「南がいなかったらもっとまし」「イタリア語がわからない外国人が多いから」と、言い訳ばかり唱え続けている。紹介しているグラフも、各教科の州別の順位。２０００年からの順位の推移（確かに２０００年、２００３年、２００６年と下降しているが、２００９年はわずかに上昇している。しかしここでも地域別に色分けされている。）また、地域の格差を強調するだけではなく「女子生徒のほうが１０％ほど成績がよいので、女子生徒だけでテストが施行されたら我が国の順位はもう少し上位だった」などともコメントされていた。尚、コリエッレデッラセーラ誌は決して「べッルスコーニ政権より」の新聞ではなくあくまで中立的な立場の新聞だ。<br />
　論説委員のインタビューは、「厳しさを増す為に、各学校の成績を公表するべきだ。」それに対して、インタビュアーは「プライバシーの侵害になるのでは？」との質問。それに対しては「他の国ではとっくにされていることだ。自分に適した職業をみつけるためには、己に合った学校で学ぶ事が大切なのである。己を知り、学校のレベルを把握することが必要だ。」との答えが帰ってきた。尚、中国が１位だったことについては、「１．読み書きを習得するのに９年もかかる難しい言語が母国語だから、勉強に対する訓練ができている」「２、上海の生徒しかテストを受けていないから」「３．体育の授業が毎日あるから（脳によい）」「４．学校の掃除をしているから」という理由付けがされている。１に関しては、やや納得できる。２について言えば、この記者は上海の人口を御存知だろうかという疑問がわいてくる。因みに、ニューヨークタイムスでは、「中国において、２０１９年には１０の都市が、２０２９年には５０の都市が、今回の上海のレベルまで追いつくであろう」とコメントされている。３、４、については論外だ。<br />
　スカラ座広場のレオナルドダヴィンチは、政府に対する教育予算削減のデモとPISA結果を目の当たりにし、何を想ったのだろう。</p>

<div style="text-align: right;"></div>堂満葉子（ミラノ在住）]]>
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    <title>イギリス連立政権の新教育政策「フリースクール」構想</title>
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    <published>2010-07-21T01:54:37Z</published>
    <updated>2010-07-21T01:58:55Z</updated>

    <summary>England.pdf ...</summary>
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        <![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-file" style="display: inline;"><a href="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/userfiles/document/England.pdf">England.pdf</a></span><br />
</p>]]>
        
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    <title>[ブックレット紹介]　教職員のためのセクシャル･マイノリティ サポートブック</title>
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    <published>2010-03-10T05:18:17Z</published>
    <updated>2010-03-10T05:28:30Z</updated>

    <summary>【ブックレット紹介】　教職員のためのセクシャル・マイノリティ サポートブック こ...</summary>
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        <![CDATA[<p>【ブックレット紹介】　教職員のためのセクシャル・マイノリティ サポートブック</p>

<p>これは、2010年2月、教職員のためのセクシュアル・マイノリティサポートブック製作実行委員会（奈良教組と性と生を考える会）が出したリーフレットである。人権教育におけるさまざまな課題のなかでも、学校現場としてのとりくみが遅れているといわれている「セクシュアル・マイノリティ」についてわかりやすく記されているおすすめのリーフレットである。<br />
A4版・20ページでイラストなども入ってとても読みやすい。<br />
　私たちは今まで、「混合名簿」や呼称のとりくみを通してジェンダー平等教育をすすめてきた。しかし、セクシュアル・マイノリティの子どもたちのことについて深く考えてきたことがあっただろうか？学校では、男か女のどちらかに明確に区別され、心の性別ではなく、身体の性別で扱われる場面が多々ある。また、異性愛が当然というような場面に出くわすこともある。そういったことに苦痛を感じる子どもが少なからずいるのである。このリーフレットでは用語解説、セクシュアル・マイノリティである子どもへの学校生活の中での支援や家族への支援のポイントなどがわかりやすく記されている。<br />
資料の中にあった「ある青年の手記」に印象的な文章があった。<br />
「『誰もが自分らしく生きられる社会』<br />
ほんの少し、"想像力"を働かせてみることが、そこに一歩近づくのだと、僕は思う。」<br />
　相手が今何を思っているか？どう感じているか？といった"想像力"を働かせること...これは「人権教育」の基本ではないだろうか!?</p>

<p>※　購入については、１部100円（送料別）で奈良教職員組合（tel0742-64-1020 fax0742-64-1023）に連絡を。</p>

<p><br />
※　このリーフレットは以下のインターネットサイトからダウンロードできるよう準備中。</p>

<p>奈良教職員組合　http://www1.ocn.ne.jp/~jtu-nara/</p>

<p>性と生を考える会　http://nara.cool.ne.jp/say-to-say/</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>【図書紹介】生井久美子『「ゆびさきの宇宙」 福島　智・盲ろうを生きて』（岩波新書、2009年4月）</title>
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    <published>2009-09-14T08:11:21Z</published>
    <updated>2009-09-14T08:15:36Z</updated>

    <summary>　「盲ろう者」として日本で初めて大学に進学し、いくつものバリアを突破して東大教授...</summary>
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        <![CDATA[<p>　「盲ろう者」として日本で初めて大学に進学し、いくつものバリアを突破して東大教授となった福島智さんをおよそ4年間にわたって追いかけ、インタビューはもとより、様々な場面への同行取材を基に書き下ろした一冊である。そうとは言いながらも、読み終えた時の率直な感想は、生井さん一人が書いたものではない、何人もの大きな力がこの本を作り上げたのではないだろうかというものだった。私が感じたことと全く同じことを、生井さん本人が「あとがき」の最後(256頁)に記述している。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　点字を蝕読する指先(多くの人たちは左手の指先で点字を読む)ほどの小さな世界と宇宙。このつながり、ひろがりが福島さんの最大の魅力である。本文の中で何度か福島さんの「宇宙観」についての記述があるが、その中でも特に私を納得させた一文は、障害者がなすべき「もっとも重要な仕事」について三つあげ、その第一は生存すること。つまり「生きること」だと言っている。「生きること自体が、この世に生を受けた人間として、もっとも重要な仕事だと思います。〈中略〉福島がそう考えるのは、光と音のない盲ろう者の世界に生きて、自分自身が無音漆黒の宇宙空間にいて、そこから地球を見ているような心象風景があるからだ。」「人間が存在する『意味がある』とするなら、その意味は、まさにその存在自体にすでに内包されているのではないか。もしそうなら、障害の有無や、人種、男女など個人のさまざまな属性の違いなどほとんど無意味なほど、私たちの存在はそれ自体で完結した価値を持っている。」(190頁)宇宙から見たら、ほんのちっぽけなことで、人を差別することがいかに無意味であるかがわかる。「私たちが生きていること自体が、天文学的な確率の恐るべき奇跡」(192頁)であることは言うまでもない。</p>

<p>　3歳で目に異常が見つかり、4歳で右目を摘出。9歳で全盲となった。18歳で全ての音が奪われ「盲ろう者」となった福島さんは、苦渋の日々の中で親しい友人への手紙に添えた手記にこう記している。「俺にもし使命というものが、生きるうえでの使命というものがあるとすれば、それは果たさなければならない。そしてそれをなすことが必要ならば、この苦しみのときをくぐらねばならぬだろう。〈中略〉俺はこの考えを仮定し、その仮定のうえで生きていくしかない。」苦しみ悶えながらも生きていこうとした福島さんだが、それを救ったのが福島さんの母が偶然思いついた「指点字」であった。私が新採用教員として盲学校に赴任したのが1979年で、その当時、盲学校に在籍していた盲ろう児の生徒とはほとんどが指文字を使ってコミュニケーションをとっていた。初任から6年間盲学校で教壇に立ったが、その間に「指点字」というものは一度も耳にすることはなかった。10年前に高等盲学校に着任した時には、盲ろう者と「指点字」で会話が行われていて、なるほどと感心させられたことを覚えている。今回、「指点字」の起源を知り、改めてその奇跡に驚かされた。</p>

<p>　福島さんは、東大の先端科学技術センターの教授として「バリアフリー」についての研究にも取り組んでいる。バリアフリーの問題が障害者に限定されていることに疑問を持ち、バリアフリーの発想をオープンにし、障害者とそうでない人のバリアを崩し、社会の有形無形の全てのバリアを崩したいと考えている。</p>

<p>　本書は、盲ろうを生きる福島さんの人生に迫るノンフィクションである。私たちがなすべきもっとも重要な仕事は、「生きること、よりよく生きること、そして支え合うこと」。生きることの大切さがひしひしと伝わってくるだけでなく、障害感、障害者福祉について、あらためて考えさせられた一冊である。教育・福祉関係者には是非お薦めしたい。<br />
　　　　　<br />
小岩　亨（北海道教員）<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>【図書紹介】私の鏡？　内田良子『登園しぶり　登校しぶり』（ジャパンマシニスト社、2009年5月）</title>
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    <published>2009-09-14T07:34:19Z</published>
    <updated>2009-09-15T06:20:13Z</updated>

    <summary>　この本を読んでみようと思ったきっかけは、長女が同じ学年の子どもたちよりも学校を...</summary>
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        <category term="書評・図書紹介" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/">
        <![CDATA[<p>　<strong>この本を読んでみようと思ったきっかけは、長女が同じ学年の子どもたちよりも学校を休みがちで、心配することが多かったからです。長女は本当に体調が悪いのですが、そんなときに優しく休ませるべきか、心を鬼にして学校へ出すべきか、私はずっと悩んできました。そして家の居心地の良さに「このまま不登校になったら...」と考えていました。その答えを知りたく読んだのですが、読み出したら涙が止まりませんでした。</strong></p>]]>
        <![CDATA[<p><strong>　中でも、下の子どもが産まれた時の上の子の話では、自分が長男を産んだ時の、嬉しいけれど大変な日々を思い出し 、「ああ、あの頃に戻って長女を抱っこしてあげたい。」と思い涙していました。（中略）</strong></p>

<p><strong>　何気なく、この本をリビングのソファに置いておいたら、表紙の絵に引かれたのか、いつの間にか二年生の息子が目に涙を浮かべて読んでいました。理由を聞くと、「子どもなのに嫌と言えないのが可哀相。我慢しなくてもいいのに。」と言うのです。「そんなに悲しいなら、読むのをやめたら。」と言うと、「でも、読みたいの。」と読めない漢字を姉に聞きながら読んでいました。今、この本は、四年前に同居を始めた義母が読んでいます。自分の娘達にも貸してほしいと言ってました。</strong>　</p>

<p>　<strong>この本に出会って、自分の頭の中がスッキリしました。これからは、本当の意味で子どもをゆっくり休め、体力･気力が充分な状態で笑って送り出そうと思います。<br />
　大切なことを教え頂きありがとうございました。</strong></p>

<p>　<br />
　私の友人に本書を紹介したところ、一気に読んでその感想を教えてくださいました。私をはじめ、この本を読んだ私の身の回りの人たちは異口同音に「自分のことが書いてある」といっています。<br />
　<br />
　文部科学省発表の08年度「不登校」を理由とする欠席者数は12万人とのことです。昨年よりは「減少」傾向で「喜ばしい」ことのようです。しかし、この種の発表がなされるたびに、私は重苦しい気持ちになります。わたしにとってこの数字は、子どもたちが抱えている「問題」の数としか思えないのです。そしてこの数には入っていない子どもたちについてもとても気がかりになってくるのです。</p>

<p>　「子どもにはそれぞれ事情がある」<br />
　この言葉を初めて聴いたのは本書著者の内田良子先生の講演でした。もう10年近くになります。子どもの目線からのメッセージを柔らかな声と表情で淡々と語られる内田先生は、講演を通してご自分の「思い」を伝えるのではなく、あくまでも子どもたちの「声」を届けてくださるメッセンジャーの役割を担っておられたように感じました。</p>

<p>　「子どもの事情」...。大人として教師として子どもの世界を外側から見つめていた私には不思議かつ新鮮な言葉でした。恥ずかしながら、「子どもは主体者である」という概念がそれまでの私にはなかったように思います。内田先生の言葉を反芻しながら、子どもたちの姿を見つめてみるとなんだか子どもの姿がこれまでとは別の輪郭を持ってくるような気がしました。確かに子どもたちはそれぞれにメッセージをもっていました。</p>

<p>　本書『登園しぶり登校しぶり』からは、実に多くの子どもたちの声が聞こえてきます。そして子どもたちのメッセージを聞き取れない大人たちの惑い、悩みは、来し方の私の姿に重なりました。</p>

<p>　それにしても、子どもを育てることはなんと難しいことなのでしょう。登園をしぶる子どもの姿、学校に居場所を見出せない子どもたち。この子たちが安心して毎日を過ごすためにはいったい何が必要なのでしょうか。私をはじめとした、ワーキングマザーがわが子の「問題」に直面したとき、私たちはいったいどうしたらいいのでしょう。やはり母親は子どもが安心して過ごせるようになるまで手元で育てることが一番なのか、仕事と家庭（子育て）で揺れに揺れていた自分自身を悔いる思いで振り返っていました。でも......。</p>

<p>　いつしか私は自分の教員という仕事を振り返っていました。子どもたちが安心して過ごせる学校（園）、子どもたちが「NO」と言わない学校をつくることができれば、私をはじめとした大人たちは安心して働けるのではないかと思い至りました。学校を子どもたちが居場所として選んでくれたとき、学校はとても素敵な場所になるのでしょう。</p>

<p>　日々元気をなくし、しぼんでいく子どもたちの声を聞くと、そこには大人の生き様が見え隠れしているように思えます。弱さを否定され、家にも学校にも居場所を見出せない子どもたちがいるという現実があります。子どもの姿を「わがまま」と言わず「どうして？」と子どもの事情に思いを寄せることから始めましょう。</p>

<p>　本書は静かに、淡々と子どもたちの姿を見せてくれます。決して誰も責めたりはしません。本書を読んだ多くの人が「自分の姿」が描かれていることに気づくでしょう。そして、なにかしらの力がわいてくるのではないでしょうか。<br />
　冒頭の感想を寄せてくれた友人は、とてもすてきな表情をしていました。</p>

<p>猪股知子（秋田県教員）<br />
</p>]]>
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    <title>【図書紹介】鈴木喜代春『子どもとともに　私の教育実践史』（教育新聞社、2009年7月）</title>
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    <published>2009-09-14T04:19:50Z</published>
    <updated>2009-09-14T07:59:14Z</updated>

    <summary>　ずしりと重い。800ページにわたる大書である。中身もゴツイのでは、と一瞬ひるむ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/">
        <![CDATA[<p>　ずしりと重い。800ページにわたる大書である。中身もゴツイのでは、と一瞬ひるむ。ところが、そうではない。いったんページをひらくと、人なつこさのにじむ読みやすい文体と具体的な場面がつづく内容にひきつけられて、どんどん読み進んでしまう。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　著者の鈴木喜代春さんは、教員、児童文学者の二足のわらじを履いて長年たゆまずに歩きつづけられ、現在84歳。このご年齢でこの大著をものされる力強さに、まず驚かされる。青森と千葉の地で、生活綴り方を初めとする多彩な教育実践を重ね、ときに「注入教育、偏向教育」との非難をも浴びながら、たゆまずに学級文集を出しつづけた。やがて教職員組合書記長を引き受け、その後指導主事を経て、中学校小学校合わせて計四校の校長をつとめる。そればかりではない。児童文学者としても知られ、多くの作品を世に送り出している。どれほどの多さかというと、巻末の著作目録によれば、現在まで実に174冊を数えるのだ。驚くほどのエネルギーそして遂行力というほかはない。</p>

<p>　こう書くと人は、屈強で精力的な外見の持ち主を思い浮かべるかもしれない。しかしわたしがかつて日教組の教育相談室の仕事をご一緒したことのある著者は、小柄かつ小声でにこにことやさしく、いつも一生懸命で謙虚な、「好々爺」（失礼お許しを）という印象である。「鈴木先生」の姿があると、みんななんだか安心してしまう、というような。<br />
　<br />
　いま著書を拝見してあらためて思うことだが、この謙虚で一生懸命なお人柄が、子どもや親や同僚を安心させ、言いたいことが何でも言える信頼関係を巧まずして生み出してきたにちがいない。組合書記長として闘ったあとに指導主事・校長職へという展開は、狭量なわたしなどには正直わかりづらいところがあるが、そうした立場へのとらわれを越える人へのまっすぐな信頼と徹底した人間主義が、おそらく著者の信条なのだと思う。「まったくひどい先生」「月給返しなさい」などと、親たちは著者に向かって平気で言う。「お母さんたちから（文句を）言われて、しっかりしなくっちゃと言っている。おもしろい校長先生だ」と子どもたちも言う。しかし、ときに子どもの横柄さに腹をたて、バンバンと机をたたいて怒鳴りつけ、そのあとでしょんぼりと反省する。いま学校に失われたのは、そうした率直さや人への揺るがない愛情なのだと気づく。そして著者のその一生懸命さが、たくさんの児童文学を世に送り出す原動力ともなってきたにちがいない。</p>

<p>　この膨大で温かい著書の目次を、以下に紹介しておく。日々子どもとかかわるところに身を置く教師をはじめ多くの読者を得て、安心感の失われたいまの世の中に、本書がひろがっていってほしい。</p>

<p>第１章　師範学校時代<br />
第２章　敗戦・国民学校の教師<br />
第３章　「6.3.3制」の新制中学校教師となる<br />
第４章　6.3.3制小学校教師となる<br />
第５章　「みつばちの子」の４年間<br />
第６章　「むぎの子」の３年間<br />
第７章　「小学校１年、２年」担任<br />
第８章　長期研究生の一年間<br />
第９章　最後の学級担任と教職員組合松戸支部役員<br />
第10章　千葉県教職員組合松戸市支部の書記長の２年<br />
第11章　松戸市教育委員会の「指導主事」「教育研究所長」の６年８カ月<br />
第12章　松戸市立栗ケ沢中学校長の６年間<br />
第13章　松戸市立松飛台小学校長の４年間<br />
第14章　松戸市立第三中学校長の２年間<br />
第15章　松戸市立小金小学校長、小金幼稚園長の２年間<br />
第16章　退職後の25年間</p>

<p>小沢牧子（日本社会臨床学会運営委員）<br />
</p>]]>
    </content>
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    <title>日食は「雨天決行」です</title>
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    <published>2009-07-22T01:12:21Z</published>
    <updated>2009-07-23T01:20:16Z</updated>

    <summary>　学生同士が、日食の話題で盛り上がっていた。当然、空模様の話になり、ある学生が・...</summary>
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        <![CDATA[<p>　学生同士が、日食の話題で盛り上がっていた。当然、空模様の話になり、ある学生が・・・<br />
「えっ? 曇とかでも日食って行われるわけ～?」</p>

<p>　確かに「天体ショー」とマスコミは言っているけれど、けっして興行ではない。お客様へのサービスとして、「いつもより長く隠れてます～」というわけにはいかない。人為的な見世物ではなく、自然現象であり、一回限りの出来事で再生はできない。このことが実感となっていないのだろう。</p>

<p>　そう言われれば、あるいは言われなくとも、こちらから操作できるようなものではないことは学生もわかっているのだけれど、つい「雨天順延」がありうるのではないかと錯覚してしまうほど、現代という時代は「つくられた」世界、見る側の満足度を第一にした商業主義的リピート機能を満載した世界なのだろう。ここでは「一回性」という現実がむしろ虚構に見えてしまう。</p>

<p>　単純再生だけではなく、スーパースローの映像や角度を変えた映像など工夫はいろいろで、実に多角的に現象をとらえることができる。しかし、現実は、一定の角度からしか見ることはできない。つまり、自分の「立場(立ち位置)」が大切となる。「どこに立つか」で見え方は大きく変化する。これはもはや太陽だけの話ではない。生活のあり方を自分がどうとらえ、人や社会に対してどのようにかかわっていくのかという問題である。さまざまな技術、多様な見方を知らせてくれるせっかくの技術が、このような「真剣さ」を奪うことになってしまってはならない。</p>

<p>　先の学生に応えてある学生が・・・「日食は雨天決行でしょ～?」</p>

<p><small><div style="text-align: right;">研究会議議員　池田賢市</div></small></p>]]>
        
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    <title>イングランド公教育改革の舞台裏―義務教育年齢引き上げと社会変容―</title>
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    <published>2009-05-29T00:46:31Z</published>
    <updated>2009-05-29T05:15:46Z</updated>

    <summary>義務教育年齢の法改正 　 　2007年6月、ブラウン政権が発足し、教育技術省は子...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/">
        <![CDATA[<p><strong>義務教育年齢の法改正</strong><br />
　<br />
　2007年6月、ブラウン政権が発足し、教育技術省は子ども・学校・家庭省と再編成され、ブラウン政権による新しい教育改革の舞台の幕があけられたのである。まず、その改革のひとつとして、2007年11月、政府は、イングランドの義務教育修了年齢を現行の16歳から18歳へと引き上げる方針を発表した。そして、翌2008年、Education and Skills Act 2008により法改正がなされ、義務教育修了年齢を2013年まで17歳、2015年まで18歳と段階的に延長されることが正式に決定された。義務教育修了の年齢改正は、1972年に、義務教育年齢が15歳から16歳に引き上げられて以来36年ぶりの法改正となる。従来、イングランドの義務教育は、原則として、子どもが5歳の誕生日を迎えた次の学期からはじまり、5歳から6年間を初等教育、16歳になる7月までの5年間の中等教育と定められており、義務教育最終学年に、GCSE(General Certificate of secondary Education)とよばれる試験を受け「義務教育修了」が認められる。<br />
　<br />
　この新たな法改正によって、イングランドの16歳以上の若者は、就学を希望するものは中等学校等で引き続き学習を続け、就労を希望する若者、あるいは就労中の若者には、義務教育期間として週20時間の労働とともに職業訓練や就労に際して必要な技能実習が与えられるなど、本人希望にあわせ、また各々の能力・適正に応じて進路の選択が可能になる。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p><strong>年齢引き上げの背景～経済界の意向</strong></p>

<p>　では、なぜ政府がこのように義務教育年齢を引き上げるという改革が必要であったのか、そこにはそれなりの理由がある。その舞台裏はこうだ。<br />
　まずその一つは、ここ数年、急激に若者の失業率が増加したことにある。この若者と失業率に関しては背後にイングランドの社会的、経済的要因がある。2008年10月、サブプライム問題を端に発した世界不況が訪れるまでの過去10年、英国の経済は活気に満ち、まさに英国のバブル景気到来といわれていた。その経済にさらなる勢いをかけるかのように、科学、通信技術の発展やグローバル化が英国の経済成長を助長し、イングランドに世界中の資本が集まるまでになっていた。経済活動が活発化する場所には、旧東欧諸国やヨーロッパ等から、開かれた、活気のある労働市場を目指し、多くの移民が流れこみはじめた。多くの非熟練労働者たちは、ポーランドなどの旧東欧諸国、旧共産系の高いレベルの教育を受けた技術や資格を持つ若者たちであった。</p>

<p>　一方で、イングランドの若者は、経験や知識不足に加え、技術も資格も持たず、結果として、非熟練労働者の労働市場は、高い技術力や知識をもつ多くの移民たちで埋められていくという現象が現れた。このような状況の中、英国ビジネス界は、英国が国際経済競争に勝ち抜くためには、自国において、より高度な知識や技能を有する労働力が必要であると考え、より多くの若者が高等教育へ進むことが重要であり、また高等教育機関に高い「質」の労働者育成を求めはじめた（しかし、実際は、そこには理想と現実の間に大きなギャップが生まれただけであった）。<br />
　<br />
　政府が、義務教育年齢延長を模索していた2007年初め、当時、教育大臣であったアラン・ジョンソンは、「義務教育年限の引き上げは、個人の利益のみならず、イングランドの経済や社会に大きな利益をもたらす。」との見解を示した。　<a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/education/6135516.stm">（参照） </a> </p>

<p>　2007年3月に提出された「高まる期待」と題された政府提案書の中では、義務教育年齢を延長することにより、個人の利益のみならず、社会や経済への利益ばかりでなく、イングランドの教育全体を活性化させると明言している。　<a href="http://www.dcsf.gov.uk/educationandskills/docs/Raising%20Expectations.pdf">（参照） </a>　<br />
また、政府の最終目標として、2015年までに17歳人口の90％が学校教育等あるいは職業訓練の状態にあることを目指しており、義務教育年齢を延長することで、教育が充実し、国民の知識、技術、基礎能力を全体に高めることによって、高い技術や知識をもつ労働力を確保し、国際競争力を増大させ、柔軟に雇用市場に対応できるとの政府見解である。</p>

<p><strong>もう一つの背景</strong></p>

<p>　舞台裏にはもうひとつの理由がある。当時、ジョンソン教育大臣が「若者たちを犯罪に巻き込む機会を少なくする。」と述べているように、2007年から10代の若者たちによるナイフによる犯罪が急激に増加している。特に2008年に入ってからの状況は悪化をたどり、ロンドンやマンチェスターなどの大都市部の問題のある地域では金属探知器をとりつける学校が増え続けるという状況が続き、若者によるナイフ犯罪の問題の深刻さを浮き彫りにした。さらに、イングランドでは、アルコールや麻薬乱用の治療を受ける若者の数がここ数年特に増加し、失業、犯罪、麻薬と、若者をめぐる問題は複雑化し、政府が取り組まなければならない課題は山積みであった。</p>

<p>　ここまでの社会状況と政府の対応政策を見ていくと、英国教育史上、気づかされることがある。この現代の状況、19世紀の英国の子ども・若者たちを取り巻く状況や教育政策に非常に類似する点がある。イングランドでは、1870年Education Act of 1870という教育法成立により、8歳から13歳までの子どもたちに義務教育が実施されるようになったのであるが、イングランドの義務教育制度の成立には、当時の19世紀の近代産業革命が大きく影響していた。<br />
　<br />
　この時代、街には工場で働く親たちを持つ子どもたちがあふれていた。これはまさに、ディケンズの「オリバー・ツイスト」に登場する子どもたちのように、子どもたちは大人と一緒に、たばこやお酒を楽しんだり賭け事をしたりする一方で、貧しさから過酷な労働を強いられており、当時のイングランド社会の病弊を象徴するものであった。そして、この状況をなんとか変えなければならないと、その対策に乗り出したひとりがロバート・オウエンであり、彼は街にあふれる子どもたちを過酷な労働や劣悪な環境から守るため、幼い子どもたちの雇用や長期労働の禁止、子どもたちの人権を尊重し、さらに学習の機会を保障した工場法制定へ働きかけた。</p>

<p>　1802年に最初の工場法が設立し、その後、子どもの学習権が保障されることとなったのである。これら一連の動きが、後にイングランドにおける公教育制度および義務教育制度成立へと続くわけであるが、この当時は、国家および産業発展のために、近代学校教育は、産業資本や国家が求める知識や技能を子どもたちに詰め込むことを目的とし、また同時に、子どもたちに正しい生活態度を伝達するという道徳環境への囲い込みでもあったということは周知の事実である。　</p>

<p><strong>義務教育年齢引き上げの成果は？</strong></p>

<p>　あれから200年以上が経ちまた同じような動きがイングランドで始まった。2007年に発表された義務教育年齢の引き上げは、多くの若者に就労の機会を高め、生涯賃金を増大させ、生活の向上をもたらすのみならず、若者が麻薬やその他の犯罪に巻き込まれる可能性を低くするとの政府の見解があった。</p>

<p>　その一方で、イングランドの2007年の統計によると、5人に1人の割合で、初等教育を終える11歳の子どもたちが、読み書きができないというショッキングな状況が示されている。　<a href="http://www.channel4.com/news/articles/dispatches/why+our+children+cant+read/937947">（参照）</a><br />
つまり多くの子どもたちが、読み書きができないまま、中等教育へと進んでいくのである。５人にひとりは中等教育に進んでも、勉強についていくことが難しく、結果として、学校教育からドロップアウトする。16歳で義務教育を修了しても、技術も資格も基礎学力も持たない若者たちには雇用もなく、若者の失業率は悪化をたどり、若者たちはアルコールや麻薬乱用し、ナイフを持ち、街にあふれる犯罪予備軍になるという構図が生まれるのである。それを食い止めるために、政府は対策を講じなければならず、「義務教育」とのいう名の下で、とりあえず問題のある若者たちを囲いこむ方法が一番てっとりばやいと考えたのであろう。</p>

<p>　しかし、単に義務教育年齢を延長したところで、これらの問題が解決されたわけではない。実際、「今」の学校現場が直面する問題に直視することなく、さらにどのような人材を育てるのかというビジョンもなく、単に義務教育年齢を引き上げるだけでは、いっこうに問題は解決されない。</p>

<p>　それよりもむしろ、なぜ若者が、知識も技術も資格も持たず学校現場を去ることになるのか？なぜ犯罪に関わる多くの若者たちが学校からドロップアウトするのか？ということの答えが、効果的な対処策を導き出すのである。それは実にシンプルである。イングランドの多くの若者たちが、個人に適した学習機会が与えられず、「スタンダード」と称する到達不可能な学習ターゲットをナショナル・カリキュラムとして枠組みされ、正当ではない「アセスメント」とよばれる全国統一試験により評価されることで、学校教育の早い段階で落ちこぼれ、知識も、技術も資格ももたず学校を離れるという事実があるからである。実際、システムの問題、カリキュラムの問題、さらに評価の問題を問わずして、単に義務教育年齢を引き上げるだけでは、問題を抱える子どもたちや若者の苦痛を延長するだけにしか過ぎないのではないだろうか。</p>

<p><strong>全国統一試験に校長組合も反対</strong><br />
　<br />
　2009年、5月上旬に行われた全国校長組合の定期総会で、11歳で実施される全国統一試験の参加拒否に賛同するかどうかの投票が実施され、ほとんどすべての校長たちが、本年の11歳の全国統一試験をボイコットする意向を示した。その前月、4月の全国教員組合の定期総会の投票結果でも、多くの教員が11歳で実施される全国統一試験ボイコットに賛同しており、今秋から11歳の全国統一試験が多くの学校で実施されなくなる様相である。全国統一試験に関して、政府は、昨年10月、2008年限りで、14歳での全国統一試験を廃止することを決定したものの、11歳の全国統一試験廃止に関しては未だ難色を示している。実際、多くの教員が、11歳での試験と詰め込まれたカリキュラムによって、どれほど子どもたちが傷つき、また多大なプレッシャーを感じているとかを指摘している。　<a href="http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/education/8030650.stm">（参照）　</a><br />
また多くの教員たちが、子どもたちの学習に必要な知識や教科を教えるというよりも、試験にパスするための教科やその技術を教えているだけにしかすぎないと感じているという。</p>

<p>　全国校長組合で、ある校長が、マスコミのインタビューに答え、教育を最重要視するとした労働党政府の教育政策は「エデュケーション！エデュケーション！エデュケーション！（教育！教育！教育！）」と喧伝されたが、実際のそれは「レギュレーション！レギュレーション！レギュレーション！（規制！規制！規制！）」でしかなく、現在のイングランドの公教育、学校現場が抱える問題がいっこうに解決されないことに憤りを覚えるとのコメントがあった。</p>

<p><strong>現場の声に耳を傾ける時</strong><br />
　<br />
　先述したように、義務教育年齢引き上げも重要かもしれないが、それよりもむしろ問題の多くは、学校教育の初期段階である初等教育におけるカリキュラムや評価にあり、子どもたちの能力や適性にあった学習機会が与えられ、子どもたちの学習意欲が持続できるような学校教育を、公教育で実施することこそが重要なのである。多くの教員が投票したように、学校現場が抱える問題を、毎日、目の当たりにしている教員の声に耳を傾けるときが来ているのではないだろうか。 </p>

<p><strong>参考文献</strong><br />
Gillis, J. R. (1981), Youth and history : tradition and change in European age relations, 1770-present. (Expanded student ed.). New York ; London: Academic Press.<br />
Humphries, S. (1981), Hooligans or rebels? : an oral history of working-class childhood and youth 1889-1939. Oxford: Blackwell.<br />
Simon, B. (1965), Education and the labour movement, 1870-1920. London: Lawrence & Wishart.</p>

<p>西田　幸代（前ロンドン大学教育研究所研究員）</p>]]>
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    <title>ガブリエッラさんとジョルジョさん来所</title>
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    <published>2009-05-07T02:30:49Z</published>
    <updated>2009-05-11T01:28:38Z</updated>

    <summary>2009年4月3日（金）午後、イタリアの最大労組でありCGIL（チィジィエッレ、...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/">
        <![CDATA[<p>2009年4月3日（金）午後、イタリアの最大労組でありCGIL（チィジィエッレ、イタリア労働総同盟）参加の教育関係組合であるFLC（知的労働者連合）の国際部担当のガブリエッラ（Gabriella　Giorgetto）さんとジョルジョ（Giorgio）さんが本研究所を訪問してくれた。2007年5月、パリのOECD本部建物で行われたTUAC会議で面識を得たのがきっかけである。その後、ガブリエッラさんには多くの情報を提供してもらっている。<br />
　目的は日本の教育政策動向や組合活動についてFLCの機関誌に記事を書くためのヒアリングだった。中村讓日教組委員長が最初に話をし、後半は教育総研関係者と意見交換した。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="clip01.jpg" src="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/userfiles/images/clip01.jpg" width="213" height="160" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 10px;"/></span>　<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　イタリアの労働組合はCGILとCISL（チズル、イタリア労働者組合同盟）、UIL（ウィル、イタリア労働者連合）が三大労組と言われており、三者は共同行動をとることが多くなっている。教育関係者の組合は、FLCのようにこの三大労組に加盟するものの他、SNALS（スナルス）やCOBASなど独立系のものもある。<br />
　FLCは、以前はCGILの学校局だったものが2004年に独立してできたもので、国私立の学校（大学や職業学校を含む）の教員ばかりでなく職員も入っている組合である。同組織のHPによると約15万人が加盟している（対象者数は1,432,000人なので組織率は12％）。</p>

<div style="text-align: center;">

<p><small>＜下の写真は2008年10月30日に行われた学校労働者のゼネスト風景＞</small></p>

</div>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="clip02.jpg" src="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/userfiles/images/clip02.jpg" width="202" height="134" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 10px;"/></span></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="clip03.jpg" src="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/userfiles/images/clip03.jpg" width="279" height="85" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 10px;"/></span></p>

<p><br />
　それだけでなく、イタリアで大きな問題になっているベルルスコーニ内閣下での教育予算の大幅削減問題、教育行政の仕組み、労働組合の組織状況など、こちら側からも質問をし、丁寧に応えていただいた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="clip04.jpg" src="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/userfiles/images/clip04.jpg" width="192" height="144" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 5px;"/></span></p>

<div style="text-align: center;">

<p><small>左がジョルジョさん、右がガブリエッラさん</small></p>

</div>

<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　    　　 所長・嶺井正也</p>]]>
    </content>
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    <title>オランダ教職員の生活実感：インターンコーチMarion Lansさんインタビュー</title>
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    <published>2009-04-27T02:17:24Z</published>
    <updated>2009-05-07T02:27:51Z</updated>

    <summary>　マリオン・ランスさんは、22年間教壇に立った経験を持つ、4７歳の基礎学校の「イ...</summary>
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        <category term="世界の各地から" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.kyoiku-soken.org/official/note/">
        <![CDATA[<p>　マリオン・ランスさんは、22年間教壇に立った経験を持つ、4７歳の基礎学校の「インターンコーチ」(IB: interne begeleidster　男性の場合はinterne begeleider)である。基礎学校とは、日本でいう幼稚園2年間と小学校6年間を組み合わせたオランダ初等教育の学校である。この基礎学校はオランダでは中都市とされるアルメスフォルト市の新興住宅地にあり、若い家族が集中していることから急成長を続けている。この学校の一番の問題は、急激な生徒数の増加に対応しながら、質を確保しなくてはならないということである。<br />
　<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　インターンコーチ(ＩＢ)とは、学校内部でのカウンセラー兼コーディネータのようなポジションで、教員資格を得た後さらに2年間の教育を受けてこの資格を得ることができる。4年前からマリオンさんは、特に「ケア」を必要とする生徒に関して、その教師や保護者をコーチしたり、さらに基礎学校卒業前に受ける学力テストを担当している。「ケア」が必要な生徒とは、失語症とかその他学習力に影響を及ばす医学的・社会的な問題を持つ生徒のことである。また教員がほかのＩＢと勤務中相談する場合、その教師のクラスを担当することもある。<br />
　マリオンさんが勤務する学校は、オランダにしては大規模な基礎学校で、30クラスに分かれている約700名の生徒と約50名の教員がいる。マリオンさんも含めて、合計3名のインターンコーチが勤めている。<br />
　<br />
　マリオンさんの家族構成は、税務署員である夫と3人の息子で、この3人のうち2人はすでに大学生として家から出て暮らしている。<br />
　自らの希望で、マリオンさんの勤務日数は週3日である。なぜ小さな子どもたちがいないのに3日のみかといえば、仕事は好きだけれど、死んだら持っていけないお金より、他のこともできる時間が欲しいからである。夫のポールさんはフルタイムで働いているが、税務署員のフルタイムは週36時間勤務で、ポールさんは毎日9時間働くので、金曜日は職場に行かなくてよい。そこで金曜日は夫婦だけの時間が持てる日となり、一緒に散歩にいったり、サイクリングをしたりする。<br />
マリオンさんの方が夫より家事・買物をすることが多いが、それでも彼女が働く日は、夫婦のうち早く家に戻った者が夕食の支度をすることになっている。だいたい帰る時間は同じなので、場合によっては打ち合わせて、駅から一緒に自転車で帰宅することもある。ポールさんは電車で15分先のユトレヒト市で勤めているからだ。<br />
　<br />
　働く日、マリオンさんは朝6時15分に起床し、朝食を食べてから、7時15分頃家を出る。自転車で35分先の学校に到着するのが7時50分で、まずメールをチェックする。そして8時10分から8時30分まで、オランダではコーヒールームと呼ばれている職員室で、コーヒーを飲みながら教員やＩＢと打ち合わせをする。もし病欠の教員がいれば、どのような対応となっているかを確認する。<br />
　授業が始まるのは8時半である。午前中１５分の休憩時間があり、昼食時間は１時間。授業時間が終るのは3時、5時にはマリオンさんの勤務終了。だいたい5時45分までには家に戻れるが、遅い時は6時頃まで学校に残る。休憩時間中にも昼食時間にも、非公式な形で教員の相談に乗るので、実質的には半分くらいの休憩・食事時間しかない。<br />
　<br />
　休暇中学校は閉鎖される。ただし6週間の夏休みに関しては、教員もＩＢも、最初の1週間は整理をしたり事務を片付けるのに費やし、夏休み後新学期が始まる1週間前くらいから学校で準備をする。ポールさんもマリオンさんも、原則的に家では仕事をしない。<br />
　生徒、教員、保護者と接触することならマリオンさんは好きだし、最近完了した「失語症プロトコール」のようなマニュアルを作成することも厭わない。ため息をつくのは事務量である。ある生徒が別のタイプの教育施設を必要としているかもしれないとなると、それに関してのさまざまな当局とのやりとりの書類は、辞書１冊分くらいの厚さになってしまう。それに30年前と比べて、教育者の社会的ステータスは下がったとも思う。親は教育者に対して、消費者・客のように振舞う傾向がある。<br />
　<br />
　とはいえ今マリオンさんは、2011年からオランダでスタートする予定のPassend Onderwijs「適切教育」（一定の教育方法によって教えるのではなく、生徒の個別ニーズに合わせた教育を行うこと）の準備に意欲を燃やしている。自分自身この新しいシステムについての教育・訓練を受けるかたわら、どのように学校の教員にそれをコーチしていくかが、彼女の課題となっている。</p>

<p>シャボットあかね（通訳、オランダ在住）<br />
</p>]]>
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    <title>オランダの教職員組合―ＡＯｂ委員長Walter Dresscher氏ヒアリング</title>
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    <published>2009-04-20T02:05:28Z</published>
    <updated>2009-05-07T02:16:53Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　オランダには3主要教職員組合がある。ＡＯｂ（組合員約8万人、ＦＮＶと呼ばれる「独立系」連合に属す）、ＣＮＶ Onderwijs（組合員約5万人、ＣＮＶと呼ばれるキリスト教系連合に属す）、およびにＣＭＨＦ（中級・上級職員センター）の教育部で約2万人である。ＣＭＨＦは政府、教育、ケアおよびに企業に従事する組合員で構成されている。ＡＯｂはどちらかというと初等教育の教員が多く、したがって女性メンバーが主流であるのに対して、ＣＭＨＦは体育教員が多く、男性が多いというような特徴はある。教育関係労働者の組織率は約35%である。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　オランダは第二次大戦後まで、「柱化」された社会構造となっていた。教会、学校、政党、ラジオやテレビ局、組合などがそれぞれカソリック派、プロテスタント派、独立派に別れていた。現在の組合運動でも、キリスト教系と独立系にいうようにその名残が見えるが、以前のようにはっきりと分別されているわけではない。またカソリック派は、必ずしもプロテスタント側についたわけではなく、独立派についたこともある。<br />
　教育分野の団体協定（オランダ語ではＣＡＯ）締結の際には、この3組合が労働者全体の代表として、一体となって交渉に臨む。教員のみならず、用務員などもこれらの組合のメンバーとなれるが、用務員はＡＢＶＡＫＡＢＯ（ケア、福祉、公共セクターの組合）などに属する場合もある。<br />
　団体交渉では、給与、勤務時間、病欠の際の規定、授業方法などについて交渉する。<br />
　<br />
　オランダの教員のフル勤務は、年間1659時間である。中等教育の場合、そのうち750時間が実際に授業をする時間、つまり教壇に立つ時間で、残りの時間は会議、授業の準備、授業後の作業、教育・訓練に費やすことになっている。教壇に立つ750時間は、「750授業時間」であり、50分が1授業時間とみなされている。ただしオランダでは、教員のパート勤務率は高い。（オランダの「パート」は正規契約であり、フルとの違いは勤務時間に比例する給与のみ。）<br />
　教員の給料は、オランダ社会では平均的とされているが、昇進による給与アップの機会が少ないということが、指摘されてきた。教員不足という環境のもと、若い人たちが教職に魅力を感じるように、去年から10年計画で、大幅な教員の給与アップが教育大臣によって約束されている。ただし現在の経済危機で、果たしてこの約束が守られるかどうかが注目されている。<br />
　<br />
　オランダ教育界の一番の懸念事項は、中退者である。移民・難民を受け入れてきたオランダでは、特にマイノリティーの若者が、卒業証書を得ることなく学校をやめていく率が高い。マイノリティーでなくても、「崩壊家庭」の子どもの学校中退率も高い。学校中退者の問題は、ただ教育というより、社会的な問題とされている。<br />
　<br />
　現在オランダの教職員組合が一番力を入れていることは、授業に関して、教員のさらに完全なオートノミーを確保するということである。原則としてオランダの教員は、自分自身で教科書を選び、授業方法を確立することができる。教員自身が教科書を作成して、それを使ってもよい。ところが実際には、学校グループという新しい概念のもと、学校グループ単位で教科書や授業方法を統一しようという動きがあり、教員の自主性が脅かされてきていると組合では見ている。以前のような専門職としてのオートノミーを再確立することが、組合員によって期待されている。</p>

<p>シャボットあかね（通訳、オランダ在住）</p>]]>
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    <title>要マインドセット切り替え‐オランダにおける教職員のパート契約・臨時契約</title>
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    <published>2009-03-30T01:25:42Z</published>
    <updated>2009-04-07T02:01:56Z</updated>

    <summary>　どの国の教育現場も、その国の文化、国民性が反映されているのは当然だが、オランダ...</summary>
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        <![CDATA[<p>　どの国の教育現場も、その国の文化、国民性が反映されているのは当然だが、オランダの事情を理解するには、日本の常識をまずちょっと隅に押しやることが肝心である。<br />
　日本でオランダはワークシェアリングの国として知られているが、こちらでは「ワークシェアリング」という概念はなく、「パートタイム」で働くと言う。ところがオランダのパートは「正規」の採用であって、フルで働く人たちと給与、年金、待遇、研修、昇進などすべて同等なのが、日本とは大いに違うところである（当然給与は勤務時間数に応じて異なるが。）つまり使用者にとって、「パート」は決して安上がりにはならない労働形態なのだ。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　それならなぜパートかといえば、パートでなければ、特に女性は労働市場にまったく参加しないだろう、またパート就業であれば、勤務時間を使って個人の用事をする必要が減るはずであるから、かえって生産性は上るという観念があるのである。また高齢化社会となり、国民にできるだけ労働生活を長く続けてもらうためには、労働者が自分の勤務時間を設定できる方が続けられやすいだろうという将来に対する期待もあるようだ。<br />
　第一次オイルショック後の失業対策として、既存の仕事をより多くの労働者で分かち合おうという連帯意識から生まれた、オランダのパート労働だったが、景気が回復し、人手が足りなくなっても、オランダの労働者はパートで働き続ける権利を主張し、今日に至っている。<br />
　もともと第一オイルショック後の労働政策を確立した際、世界で有名になったいわゆる「オランダ・モデル」（オランダは国土の大部分が干拓地なので、オランダでは干拓地をさす「ポルダー･モデル」と呼ばれている）が用いられた。ポルダー･モデルとは三者の合意で政策を決定するコンセンサス・モデルのことだ。三者とは政府（実際には独立した立場の専門家）、組合（組織率に関わりなくすべての労働者の代表とみなされる）およびに使用者である。労働政策に関しては第二次世界大戦以来、三者が定期的に協議するSER（社会経済評議会）という形でこのスタンスが継続している。政府に対するSERの助言はほぼすべて採択されているので、実質的にはSERの決定がオランダの労働政策となる。<br />
　なぜ組織率に関わりなく、労働組合が労働者全体の代表とみなされているかといえば、組合側が団体協約で獲得した条件はすべてそのセクターの労働者に適用されるということが一つ。もう一つは、組合間もコンセンサス・モデルであるからだ。つまり団体協約の交渉の場では、競争相手同士である複数の組合がそろって同じ場で、使用者と協議する。組合側内でコンセンサスを得ながら、使用者と交渉するのだ。これはSER内でも同じことである。というわけで、いくら組織率は下がろうとも、オランダでは組合は労働者全体の声なのだ。<br />
　オランダの労働者は主にSERを通じて権利を守ってきたが、ことパートに関しては何も「守る」必要はなかった。というのも三者がそろってパートのメリットを認めているからだ。原則的に労働者が就業時間数を決められるという自主性による勤労意欲の増加、個人生活を犠牲にしないでよいという人間性、とにかくワークライフのバランスがとりやすくて合理的だからだ。管理者や裁判官のような専門職でも、パートで働く人たちが大勢いる。付け加えるならば、「パート法」は労働者が要求する勤務時間の短縮と増加の両方とも、使用者側にとって重要なデメリットを証明できない限り受け入れられなくてはならないという法律である。たとえば子育てを終えて、勤務日を増やしたい者にも適用される。<br />
　中には高齢者社会に備えて、労働者は常にフルで働くべきだという説く者もいるが、これはあくまでもマイノリティーで、現実的でないとみなされている。フルタイム勤労しか認められないのであれば、労働者数は相当減るから、かえって逆効果であるというのが主流の見方だ。<br />
　ちなみに早期退職もパートと同じ意図で同時期に導入され、同じように労働者に歓迎され、労働者不足となってからも早期退職者は続出した。けれど労働者側は「早期退職権」を守り続けることができず、当初の早期退職を促すための経済的メリットは最近なくなった。（新制度が施行される直前、早期退職者ブームがあったとのこと。）ただし自分自身で早期退職のために貯金をすることに関しては、税面で優遇措置ができた。<br />
　<br />
　教育は製造工場などとは異なり、パートとして働きやすい職場として知られていて、実際に就学前教育から高等教育まで、オランダの教職員の大多数がパートで働いている。子どもの休暇は親も休暇、子どもの授業が終る時間は親の勤務時間も終了ということで、親の手で育児がしやすいというのが教職の特色とされている。教職員の場合とは限らないが、母親が週3日、父親が週4日働き、各自フリーな日に子どもの面倒をみて、週2日のみ託児所に頼るというのが、就学前の子どもをもつ家族の間でよく見られるパターンである。<br />
　フルタイム勤務の実際は、業界によって「フルタイム」の基準は異なるが、36時間～38時間が主である。オランダでは週40時間というのは、週40時間以上は働いていけないということ。そこにフレキシブルワークときているので、たとえば週4日で毎日9時間働いて「フル」勤務ということもよくある。簡単に言うと、オランダでパート就業とフル就業を区別する意味はまったくないということになる。<br />
　<br />
　次は臨採について。　<br />
　教育界での臨時採用は増えてきているが、臨時採用も契約期間が限定されているということ以外、パートかフルの永続的な契約期間の勤務とまったく差がない。つまり使用者にとって臨時採用は、少なくとも給与の面でのメリットはないのだ。<br />
　臨時採用以外の就職口がないので臨時採用で働いている教職員も、いることにはいる。けれど現在オランダはまだ教員不足なので、臨時採用の方が長期的な自由があってよいという、好んで臨時採用を選ぶ教員が多い。<br />
　追加点。正規採用と臨時採用両方のタイプのパート勤務の場合、初等教育から高等教育まで、必要か好みに応じて、複数の学校で働く教員もけっこういる。<br />
　結論。パート勤務も臨時契約勤務も、使用者側には節約にはならないので、経費削減は動機ではない。パート勤務は管理職・専門職も含めて働く側の希望であるということ。臨時契約であれば使用者側のコミットメントは短期間であるというフレキシビリティがあるが、このフレキシビリティは労働者側にとっても同じで、オランダではむしろ労働者がこのような柔軟性を求める傾向が強いということ。多少の所得は犠牲にしても、ワークライフバランスでライフを優先するのがオランダの国民性なのだ。<br />
　組合員でなくても、組合が獲得した条件を享受できるのならば、なぜ組合員になるのか。学校の休暇はすべて教員の休暇でもあるのか。そのようなもろもろの疑問が出てくるかもしれないが、ページ数の関係で、今日はここまで。</p>

<p>シャボットあかね（通訳、オランダ在住）<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>]]>
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    <title>それって「長所」なの？</title>
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    <published>2008-12-16T00:55:09Z</published>
    <updated>2008-12-17T01:09:09Z</updated>

    <summary>　推薦入試の面接をはじめさまざまな場面で、学生から提出された自己アピールに関する...</summary>
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        <![CDATA[<p>　推薦入試の面接をはじめさまざまな場面で、学生から提出された自己アピールに関する書類をみる機会が多い。それには自分の長所・短所を書く欄が必ず設けられている。そしてかなり多くの者が「決めたことは最後までやり通す」といった内容のことを書く。意志の強さや忍耐強さなどをアピールしたいのだろうという気持ちはわかるのだけれど、それってほんとに「長所｣なのかなぁ、と思う。現実の生活の中では、むしろ逆ではないか、と。</p>]]>
        <![CDATA[<p>　つまり、途中で「やめる」ことのほうが、はるかに難しく勇気のいることであり、またさまざまな思考が要求されるはずである。最初に決めたことをやるのは「簡単｣。何も考える必要はない。もうやることは決まっているのだから。ところが、そのうち状況が変化し、「決めたこと」が通用しなくなってきたり、その目的の再考が必要になったり････、そのときこそ、その人の姿勢や能力が試されるときである。いかに軌道修正できるか、ある場合には思い切って当初の計画を白紙に戻す勇気だった求められるだろう。では、その後どうするのか、いろいろと状況判断をしながら考えねばならない。まさに臨機応変である。</p>

<p>　決めたことをやるのは当たり前。むしろ、せっかく決めたことをいかに壊せるか、そして再構築できるか、そこが大切ではないかと思う。一度決めたことを変更しないというのは、場合によっては「怠慢」である。もちろん、学生を責めているわけではなく、政治家や教育行政において権限を行使しているある人・この人に言いたいわけですが。</p>

<p>　「それって実は逆ではないのか」ということを財政を扱う人たちに当てはめてみると･･･、お金を出さない・使わないということは実は簡単で、問題はいかに使うかという点にあるのではないか、と。「出さない」と決めているのであれば、何も考える必要はないし、誰でもできる。どうやって使うか、何に使うかを考えるときにこそ、議論が必要になり、哲学が求められる。仮に総体としては大きな変化がなかったとしても、「いかに減らすか」ではなく、「いかに増やすか」という発想を基盤に据えたときこそ、財政論の出番である。いまの財務省の仕事であれば、たぶん基本的には誰にでもできる。だって削ればいいんでしょ。一律何%というように切っていく実に幼稚な方法も容認されているようだし･･･。どうやって増やすか、それが腕の見せ所ですよね。</p>

<div style="text-align: right;"><small>研究会議議員　池田賢市</small></div>]]>
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    <title>ソウル市 「教育監」直接選挙 実施</title>
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    <published>2008-12-15T00:47:49Z</published>
    <updated>2008-12-15T02:43:23Z</updated>

    <summary>初めての直接選挙ではあったが・・・ 　さる7月30日に初めてソウルで教育監（日本...</summary>
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        <![CDATA[<p><strong>初めての直接選挙ではあったが・・・</strong></p>

<p>　さる7月30日に初めてソウルで教育監（日本でいうと教育長）が市民の手で直接選ばれる選挙が行われた。「ソウル市教育監」は「教育大統領」と呼ばれるほど大きな教育権力と影響力を持つ地位であるため、また、「イ・ミョンバク政府」の教育政策に対するソウル市民の審判という意味もあり大きな関心を集めた。<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　①高校入試の現行制度（抽籤で家に近い所の学校へ通わせる方式）を維持するかそれとも生徒に学校選択権を与えるか、②特別目的高校の運営方針をどうするのか、③0時間目を復活させるかどうか、④学力調査結果を公開すべきかどうかなど、非常に敏感な教育政策の争点が今度の教育監選挙と深い関係があった。 <br />
　しかし、有権者808万4574名の中、124万4033名が投票に参加し、投票率は15,4％に止まった。 </p>

<p>　このように投票率が低かったのは教育監直選制に有権者の無関心であること、また選挙日が平日でそれも夏休みの真最中だったことにも原因があった。さらに、今度の選挙が初めての教育監直選制にも関わらず、教育政策の対決ではなく、お互いの非難合戦の選挙、「保守」と「進歩」両陣営の代理戦に変わったことにも一つの原因があったと言われた。 </p>

<p><strong>なぜ、今時直選制になったのか。</strong> </p>

<p>　教育監の選出方式はこれまでいろいろと変わってきた。1949年、初めての教育監は大統領が任命し、1963年以後になると中央政府が任命した。1988年からは教育委員会が選出、1997年からは学校運営委員と教員団体の選挙人が選出、さらに2000年からは学校運営委員1万5千名が間接選挙で選んできた。 </p>

<p>　間接選挙だった教育監選挙が直接選挙に変わったのは、2006年12月に「地方教育自治に関する法律」が改正されたからだ。間選制では学校運営委員らが教育監選挙に参加したが、一部分の人だけに投票権が与えられ、選挙が混濁になり、また教育全体の意見を反映することができなかった。また、地縁と学閥、資金力によって当落が左右される問題点が指摘されてきた。今までの間接選挙では投票率が90％まで上ったのも当選のだめ組織的な動きがあったからだ。いろいろな問題点を防ぐため一般市民に選挙権を与え、地方教育自治の土台を造る出発点にさせる狙いがあった。 </p>

<p>　しかし、直接選挙になってから行われた地方の教育監選挙は10％代の投票率に止まり、今度のソウル市教育監選挙も15,4％と低い率に終わってしまった。ソウル教育監は全国16の市・道教育監が参加する「全国市・道教育監協議会」の会長を務める韓国の教育責任者である。また、ソウル市教育庁の初等中等教育政策は他の市・道教育庁に相当な影響力を与えるし、予算も6佻元を越えるし、10万名の教育職員(教員と学校の行政職員）の人事権を持っている。</p>

<p>　イ・ミョンバク政府の主な教育政策の一環である学校自律化の促進で権限がもっと大きくなっており「教育大統領」とも呼ばれてきた。それゆえ、これほど重要な地位を占めるソウル市教育監の選出には政治的に中立性を保ちながら民主性の確報が求められた。それが直接選挙に変わった理由である。 </p>

<p><strong>進歩と保守の代理戦なってしまったソウル市教育監選挙</strong>　</p>

<p>　ソウル市教育監選挙には6名の候補者が名を挙げた。しかし、2004年からソウル市教育監を務めてきた保守派の「孔・貞澤（ゴン・ジョンテク、74才）」と 大学教授で進歩派の「朱・璟福(ジュ・ギョンボク、57才）)の候補者二人の選挙戦になった。 </p>

<p>　孔・貞澤（ゴン・ジョンテク）候補は2004年8月から4年間ソウル市教育監を務めた。当時、「学力伸張」を図るため「競争」を強調し小学校に5段階レベル（成績によって＂ス・ウ・ミ・ヤン・ガ＂というレベルを付ける）の成績表を10年ぶりに復活させ、賛否両論を呼んだ人物である。与党と保守派の支持を受けた孔候補は「未来と共感する教育監」として「リトル　イ・ミョンバク」とも呼ばれるほど政府の教育政策と同一の路線を強調してきた。人材を育成するためには画一的な教育から脱して競争システムが必要ということで国際中学校の新設、特別目的高校の増設、英語中心教育、2010年からの高校選択権導入など、「学力伸張」と「競争導入」が主な政策だった。しかし、私教育費ばかり増大するという政策上の問題点と、4年間の教育監在任期間にずっとソウル市教育庁が腐敗機関になってしまった事、さらには教育監自身が政治的な行動をしてきたことが指摘されてきた。 </p>

<p>　一方、野党や進歩団体の支持を受けている朱・璟福（ジュ・ギョンボク）候補は「イ・ミョンバク教育政策の審判論」というキャッチ・フレーズを掲げ、教育政策面でも孔候補とは大きな違いがあった。既に受験高校に変質してしまった特別目的高校の増設に反対、私教育費節減対策として塾の受講料の上限制、放課後教育の強化、学校選択制廃止（成績だけがいい学校ばかり選ばれ学校の差がまた酷くなり、もっと教育差別が拡大する恐れがある）、保護者の学校参加拡大、清廉なソウル市教育など、差別がない教育を訴えた。学力格差が存在することを認めつつも、公教育では教育機会の差別がないように平等に教育を受けられるのが大事だと強調した。 </p>

<p>　選挙戦が始まった時の世論調査では朱候補が少し前に立ったが、与党と野党、保守と進歩の代理戦の様子が見え始めた後半になってから教育政策の競争がなくなり、市民の関心が低くなってしまった。結局は孔・貞澤（ゴン・ジョンテク）候補が2004年から続いてまた、初めての直選制のソウル市教育監になった。その陰にはまた江南地域（韓国ではお金持ちばかりが住んでいる所と呼ばれて教育熱心で有名だ）の市民の烈々な支持があったのである。 </p>

<p><strong>ソウル市教育監の直選制が残した課題 </strong></p>

<p>　市民がソウル市教育監という席の重要性を認識しながらも選挙に参加しなかったのは「教育科学技術部長官」も信任できないのに教育監は言うまでもないという考えが広がったためだ。教員と保護者の中でも、名誉や権力だけを望むような教育監は誰が選ばれても関係ない雰囲気が漂ってきたのも事実だ。今度の選挙には320億元の費用がかけられ、「高費用・低効率」という非難を避けられない。そのため既に「直選制無用論」も出てきた。 </p>

<p>　今回の選挙で一番問題になったのは「政治性」だった。憲法は教育の中立性を強調してはいる。地方教育自治法第24条には「教育監候補は過去2年間政党の党員ではない人」という制限が設けられている。しかし、政党の「公薦」はなくても「内薦」はあるという噂があるほど政党の関与が多かったし、政治的な理念も衝突した選挙になってしまった。「反イ・ミョンバク」対「反全教組(全国教職員労働組合）」という面もあった。それで教育政策の対決が薄くなり、市民を遠ざける選挙になったのだ。これから政治色を如何に減らして本来の選挙の意味を取り戻すのかが大きな課題になりそうだ。 </p>

<p>　また、当選した孔・貞澤（ゴン・ジョンテク）教育監は選挙資金の80％を私設塾や私学財団、校長らにもらったということで現在検察側が調査をしている。野党では孔教育監の辞任を引き続き要求している状況もあり、15,4％の低い投票率の中、6％に止まった支持率で教育監の座を保つことができるだろうかという論議も根強い。 </p>

<p>　次回の地方選挙が行われる2010年10月までの任期の間に孔教育監の動向に目が離せないし、また、これから教育監直接選挙制の行方についても議論が引き続きありそうだ。 </p>

<p>白　潤卿（ペク　ウンギョン、ソウル市在住）</p>

<p>　 </p>]]>
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