総研ノート:コラム

映画「三池終わらない炭鉱(やま)の物語」を

 三〇〇ほどの席が開演まえから埋まり、若者が多いことが目についた。映画情報誌(「ぴあ」)によれば、ハリソンフォード主演の娯楽大作をしのぐ人気を博したという。苛酷な労働の炭鉱(やま)の物語がなぜ多くの人々の関心をとらえるのか。とくに現代の青年を魅了するのか。

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 冒頭のシーンは、廃坑になって久しい三池宮原坑である。巨大な第二立坑やぐらにまず圧倒される。私も訪れたことがある万田坑もかっての主力坑でいまは宮原坑とともに国の重要文化財である。次のシーンでは、石炭運搬の鉄道、機関車、三池港などかっての三井三池を支えた炭鉱(やま)の"遺産"が次々と登場する。
 一転して場面は生い繁る夏草の小道。万田坑に進む熊谷監督の後姿。入口で巨大な廃坑を仰ぎ見つつ赤レンガを一枚づつていねいにさすっている。昔日の大三池を蘇らせようとするかのように。坑内に入るとコンクリートの床にひざまずく。赤さびた鉄網の穴から底をのぞきこむ彼女。マイクが地下水の流れる音をひろう。ピタピタというかすかなその音は一瞬タービンの轟音と化し、坑内は騒然たる出炭の場に変じたかのように私には思われた。
 三池炭鉱は良質の豊かな炭層で、日本一の優良炭鉱であった。官業として出発したが、その後大財閥三井に払い下げられ近代日本発展の原動力となった。
 ところが、労務管理は苛酷で、戦前は中国、奄美大島、与論島出身の労働者を強制的にこき使った。戦前には囚人を多く働かせ、直接鉱内に通ずる地下道も掘られていたのである。十四歳、十九歳で強制連行された中国人が当時の労働の実態を静かに語るシーンも胸を打つ。与論島出身労働者の小屋のような住居が島差別を雄弁に物語る。イギリス人捕虜も三池でこき使われたことを私はこの映画ではじめて知った。
 五〇年代終りのエネルギー革命とともに石炭産業は斜陽化。三池闘争が激化。三一三日間全面ストライキは大闘争の象徴である。しかし、組合はついに分裂、かっての同志、親、きょうだいも憎しみのるつぼに。そのなかで第一組合員の一人が暴力団に刺し殺された事件は有名だ。
 それから半世紀、分裂を策した当時の労働課長、第一、第二組合の幹部が監督のインタビューにこたえてそれぞれの立場をこもごもと語り出す。しかし、「落盤におうたときは第一も第二もない・・・『炭掘る仲間』なんだ」。九一歳の元労組員の述懐が「炭掘る仲間」のうたのなかで伝わる。憎悪の底にはこのような労働者の魂が宿っていたに違いない。
 六三年一一月九日、三川坑で炭じん爆発。四五八人が一瞬に殺され、CO中毒患者八三九人を出した。安全を軽視した生産第一主義による戦後最悪の炭鉱事故である。それにまつわる自殺、離婚、家族の蒸発。それは決して過去の物語ではない。たしかに炭鉱(やま)で働き、傷つき、斃れたのは男たちだ。だが、それを支え、助けたのはまちがいなく女であった。
 そのなかの一人は語る。「一口に38年て言いますけど、一日一日365日、一年掛けるの38年ですよね。・・・うん、まったく別人に変えられた人間破壊ですよ。これ、どうしてくれる」。明るい日ざしのなかの彼女の訴えに私は言葉もない。Co訴訟のハンガーストライキを坑底で戦う女性たちの姿。女性が主役というこの映画のメッセージが伝わってくるシーンだ。
 私が三池に関心をもったのは、この映画にも登場する向坂逸郎さんの講演がきっかけだった。大学で『資本論』を勉強するのもいいが労働者の学び方も知らねばならん。そのためには三池へ行きたまえ。その奨めに従い三池の炭鉱住宅に泊り込み家族ぐるみの交流を深めつつ、学習会に参加した。それから40年余、幾度三池へ通ったことだろう。学んだことははかり知れない。だが次のことばは生涯忘れることができないだろう。「自分が助かるためには他人を助けなければならない。このことを学習会で身体にすりこまれてしまった」。解雇された労組員の回想の一句だ。団結、連帯-。豊かさのなかで死語になりかけたこの言葉を、国や企業に「弱者切り捨ての風潮がまん延し、格差化が急速に進む今日」なんとしてでも蘇らせなければならない。そうでなければ、「豊かさは三池の地獄の上に咲いた徒花」(鎌田慧のことば)になってしまうだろう。しかし、多くの若者たちがこの映画を観ることに私は希望をつなぎたい。彼・彼女たちが、三池の労働者たちが"地獄"のなかで、人間の尊厳を守るために、仲間とともに学び闘い、前述のような珠玉のことばを身につけていった事実を学びとって欲しいのだ。そのことを切望して小文を閉じる。(完)

  追記
 この映画を観てしばらくの後、六三年の炭じん爆発の事故で45年間寝たきりの一労働者が死去したことを新聞が伝えた。この映画にも紹介されたその人の名は受川孝さんという。享年65歳。やはり、「炭鉱(やま)の物語」は終っていないのだ。

長野大学教授・元教育総研代表 黒沢惟昭

2008年8月18日