総研ノート:コラム

「早寝・早起き・朝ご飯」は憲法違反である

近代立憲主義における政治体制においては、人はいかに生きるべきかといった価値の問題については、その善し悪しを判断することはできないということ、つまり、価値における多様性の保障が大前提である。言い換えれば、国家は何が善い生き方であるかを示すことができないのである。生にかかわる根底的な価値については相互に比較することは不可能であるという立場をとることで、人々はひとりの個人として人権を保障されるのである。このことが、日本国憲法13条に規定されている。

    「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する
     国民の権利について は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政
     の上で、最大の尊重を必要とする。」

 ここでは幸福の中身は問われない。

それは法律で規定することはできないのである。できるのは、その各人の幸福を「追求するプロセス」の保障である。それが公共の福祉に反しない限り、各人の世界観に基づく価値の実践・追求は自由でなければならない。
 いま、学力「低下」問題への「対策」のひとつとして、政策側から言われている「早寝・早起き・朝ご飯」は、人の生活の仕方、生き方という、憲法の下でけっしてその価値の優劣を示してはいけないことがらに踏み込もうとする違憲のスローガンである。

 重要な点は、このようなスローガンの内容そのものの善し悪しは、この問題の議論にとってはまったく関係がないという点にある。仮にその具体的内容が、多くの人々が納得するような善いもの(あるいは少なくとも善いところもあるもの)であったとしても、そもそもそのような価値は比較不可能なもので、一定の尺度に乗るようなものではないとすることが、民主的社会の大前提である。価値あるいは道徳に関することがらは、私生活の自由として保護されるべきことがらなのである。

 実は、この「早寝・早起き・朝ご飯」というスローガンと同様の論法は、教育基本法「改正」の段階でも起こっていた。「国を愛することがなぜいけないのか」と与党は盛んに主張した。ここで、国を愛することが善いことなのか悪いことなのかといった問いかけの罠にはまってはいけない。価値の問題を語ることに関して、国は禁欲的でなければならないのである。国を愛すること自体が「いけない」のではない。法律でそのような個人の信条に関することがらを規定することが「いけない」のである。

 さらに加えるならば、食事の仕方(たとえば回数や時間帯)については、すでに人類学や社会学等の研究成果により、単なる個人の問題を越えて、文化の問題である点も指摘されている。少なくとも、生物学的に合理的根拠があっての一日三食というものではない。しかし、この点の議論を進めていくと、再びスローガンの内容の是非に引きずり込まれる危険があるので、注意が必要である。
 最後に、少なくとも、夜更かしや朝食を食べないことが公共の福祉に反しないことは確かである。

運営委員 池田賢市

2007年12月20日