総研ノート:コラム

刑事司法の「現実」

周防昌行監督の映画『それでもボクはやってない』を、DVDで視聴した。
オーバーかなあと思う人もいるかもしれないが、弁護士のわたしからいうと、実にリアルな映画である。

 わたし自身担当した事件では、少年審判で何度か「非行なし」(刑事裁判の無罪に相当)になったことはあるが、刑事裁判では無罪になったことは一度もない。否認事件はそれほど多くはないが、思い出すだけで6、7件はある。わたしにしてみれば、みな、「合理的疑い」が残る事件だ。

一番無力感を抱くのは、明らかに客観的証拠と矛盾する関係者供述・証言が、「・・・の可能性がないわけではない」などと、証拠もないのに裁判官が勝手に考えた「可能性論」で否定されるとき、それでも説明できないときは、無視して語らないといった判決をもらったときだ。そうして、有罪の根拠とする証言を、「弁護人は疑いがあるというが、ほぼ一貫した供述をしている、その供述は、具体的で、迫真性にみち、わからないところはわからないとし、自然である・・・」と、まるでこの映画の最後で挙げる有罪の理由と同じことをいうのだ。

 2年ほど前担当した恐喝事件では、「否認している」ということだからか、保釈は何度申請してもだめ(却下決定の文面上は罪障隠滅のおそれあり)。そればかりか、起訴後も、弁護人以外との接見禁止が半年も続いたことがある。もちろん、準抗告をしたが、だめ。「人質司法」の最たるものだ。

 民事裁判もひどいが、刑事裁判はもっとひどい。「疑わしきは被告人の利益に」ではなく「疑わしきは被告人の不利益」だし、「自白」しないと不当な扱いを受けるのが実態だ。原則は単なる建前にすぎないのかと、胃が痛くなる。本人はもっと辛いだろう。
「どうか私を あなたたち自身が 裁いて欲しいと思うやり方で 裁いて下さい」という字幕で映画は終わる。バックは最高裁判所の建物である(でも、これが最高裁判所とわかる人はよいが、多くはわからないかも。テロップをつけてくれればよかった)。これは陪審裁判で陪審員たちに向かっていう言葉のようだ。日本の裁判官たちへの強烈なメッセージである。

 裁判員制度が2009年5月には始まる。「ほとんど絶望的である」(刑事訴訟法の大家である平野龍一氏の言葉)といわれる日本の刑事裁判が、裁判員制度の導入でよくなるだろうか。
 法教育が取り入れられ始めている。裁判員制度発足が近いから、刑事司法についての学びは必須となるだろう。だが、その前提として、今の刑事司法の現実を学ぶことが大切だ。本映画は、その現実を知るために必見である。

運営委員 石井小夜子

2007年12月 1日