総研ノート:コラム

「団塊の世代」の“一斉リタイア”、私はちょいと納得できません

1960年6月15日、私は、「60年安保闘争」を闘う人びとの巨大な渦の真っ只中にいた。まったくの駆け出し記者だった。が、“ネコの手も借りたい”という状況の中、“ネコよりはいくらかマシ”と“評価”されたに違いない。国会議事堂周辺をただただウロウロと走り回っていた。そのときである、「死者が出たらしい。学生らしい。女子学生らしい」と次々に情報が飛び込んできたのは。東大生、樺美智子さん壮絶死の瞬間だった。

確認のため、警察に走り込む記者たちの中から怒声があがった。「ヨーシ、我われは本署を占拠するぞ」。大男だった。ある社のベテラン記者だった。屈強な警官は国会周辺に動員され、署内に残っているのは、あまり格闘には縁のなさそうな「優しいおまわりさん」ばかり。そのおじさんたちがいささか狼狽気味に椅子から腰を浮かすのが見えた。

1960年代末から70年代初めにかけて東大、日大など全国のほとんどの大学で学生たちが叛乱を起した。校舎を封鎖し、警察機動隊と激突し、「安保粉砕!」を叫んだ。私は、「全共闘運動」と名付けられたあの闘争を取材するため、キャンパスに身を置き続けた。「なんだ、何が始まったのか」。自問しながら、ときに学生たちが立てこもるバリケードの中にまで“潜入”し、彼ら、彼女らの肉声を聞き、集めた。

あれからまた、決して短くない時間が経過した。勤めていた新聞社を定年退職してから10数年たつ。そんな私の目の前で「団塊の世代に贈る悠々自適の日々」などと銘打ったCMが魅力たっぷりに“わくわく感”をかきたてる。「田舎暮らし、お手伝いします」、「海外で老後を暮らすための知恵あれこれ」、「退職金で利殖のお勧め」といった具合。

いま、なぜ、こんなことを書く? それは、「団塊の世代」は、「60年代安保闘争世代」と「ポスト全共闘世代」によって“はさみ打ち”にされ、その両世代から批判の矢を放たれているという事実に関心が向くからである。「安保世代」は、あれだけ激烈な闘いの果てに「高度経済成長の戦士」となった自己史に何を書き加える気か、と問い、「ポスト世代」からは、「我われに幻想を与えておいて、そりゃあないよ」と怨嗟に似た声さえあがるのである。

悠々自適はちょいと早過ぎるのでは?

運営委員 村上義雄(ジャーナリスト)

2007年3月30日