総研ノート:コラム

教育基本法と国会審議

国会審議が緊迫していたころ、地方公聴会が実施されることになったということで、突然、公述人として新潟に行くことになった。スケジュールは休みなく詰まっており、その合間に資料を作成し、また20部印刷して綴じるのも一苦労であった。相手にわかりやすいように、国際比較による学校間学力格差のグラフ、フィンランドの授業の様子を移したカラー写真など、データや写真をたくさん入れて作成した。

12月3日夜、新潟に到着するとそこは雪で真っ白だった。翌日、ホテルの一室で参議院「教育基本法に関する特別委員会」の議員10名余と公述人4名、マスコミ、傍聴人10名程度が集まり密室の審議になった。この時間は、国会の審議時間に数えられるとのことである。資料は、マスコミや傍聴人には渡っていないので、国会議員と公述人だけのやり取りになる。

公述人の持ち時間は1人15分、4人で1時間。休みなしですぐに5政党から15分ずつの質問が来る。熟考するまもなく、間髪入れずに答えなくてはならない。しかも、相手にわかるように具体的に説明し、説得しなくてはならない。4人の公述人のうち、改正に賛成する者は1名。反対、ないし問題を指摘する者は3名。2時間15分のやり取りの中で、やがてこの3名は、「今このような話がありましたが、私も……」とか「○○先生は先ほどこうおっしゃっていましたが、私も……」というように連係プレーが自然に生まれてきた。神本議員は自説を端的にしぼって説明し、公述人に答えさせたいことを明確にしながら、しかも1人の公述人だけが浮いてしまわないように答える相手を複数に分散させて質問された。これは、さすがにうまいと思ったものだ。

熱を入れていろいろと話をした。どの政党の議員もよく頷いてくれた。短時間にしては、よくまとまった話ができたと思っている。そのことは、後日届けられた議事録でも確かめられる。ところが、ことの結末を見るとむなしい。

議員個人においても、すでに、法案に対する賛成・反対という結論は決まっている。党議拘束があるから、その通りに投票する他はない。とすると、国会の審議は何のためにするのか。いくら話し合ったとしても結論は決まっているのだ。意見交換し、考え直して、よりよい結論を出すから審議なのである。よりよくなる気もない者が集まって、税金を使って審議しているというのは、ムダではないか。ひとつ効用があるとすれば、審議過程が公開されるので、あまりにひどい案を提案できないという程度の抑止力だろう。だが、これも、マスコミが審議の様子をきちんと報道し、国民がきちんと反応してこそ抑止力となるわけである。教育基本法改悪が決まる時、新聞に踊った話題は、松坂の契約金が何十億円という記事だった。

運営委員 福田誠治

2006年12月30日