総研ノート:コラム

『トゥルー・ブルース』

ブラッド・ピットが有名になる前に出演したテレビ映画に『トゥルー・ブルース』(1990年)がある。原題は『Too Young To Die?』という。主演はジュリエット・ルイス。彼女アマンダは13歳で養父にレイプされ家を飛び出す。結婚に逃れるが幼い男女の破局はすぐくる。町に出てビリー(ピット)と知り合う。愛をもとめてさまよう少女。売春から彼女を保護してくれた男性。少女と同棲を職場に知られた男性は彼女に別れを告げる。「彼はお前のことを愛してない。別の女性と一緒にいる」とビリー。15歳の彼女は殺人に至ってしまう。結果は死刑。実話を下にしたものというが、原題はこのときの弁護人の弁論の言葉である。

アメリカでは、シャーリーズ・セロン主演の『モンスター』(2003年)など子ども時代に虐待を受けてきた人が犯罪をおかすという映画がしばしば作られている。『トゥルー・ブルース』は『モンスター』に比べると出来は劣るが、よく似た映画である。だが、この映画の主なテーマは、原題にあるように「子どもへの死刑問題」である。

アムネスティによれば、最新情報(おそらく2006年1月1日現在)では、122カ国が死刑を法律上または事実上廃止している。世界的には、死刑はあきらかに廃止の方向にある。とりわけ、18歳未満への死刑は国際条約で禁止(「子どもの権利条約」では釈放なき終身刑も禁止)しているから、それに沿って廃止する国がでてきた。だが、少数の国、たとえばアメリカであるが、一部の州にはいまだに18歳未満の犯罪にも死刑が残っている。1990年から2003年まで19人が処刑され、ほかのどの国よりも多いという。アメリカが子どもの権利条約を批准しない理由の一つには死刑制度が挙げられている。

こうした中でアメリカ連邦最高裁判所は、2005年3月1日、18歳未満に対する死刑は、残酷で異例な刑罰を禁じた憲法修正第8条に違反するとした。その理由として、子どもは、(1)未成熟で責任感が十分発達していないため衝動的・無分別な行動や判断をとりやすい、(2)負の影響力や外部からの圧力に影響され、心理的なダメージに傷つきやすいため自己管理ができない、(3)人格がまだ十分形成されておらず、性格的特徴としても一過性で固定されていないなどを挙げ、上記の国際的流れも指摘し、総合的に判断して、違憲とした。この当時アメリカ全州で犯行時18歳未満の死刑囚は72人いたそうである。

実はこれを書いたのは、最高裁判所が裁判員制度導入に当たって、市民の意識を調査した結果が頭にあったからである。殺人事件の場合、大人が犯した場合より少年が犯した場合の方を重く処罰すべきと回答した人が25%いた。おそらく、大人が犯したならまだ理解できるが、少年が殺人を犯すのはとんでもない、という感覚からの回答だろう。あるいは、少年による殺人事件が多い、という感覚があるのかもしれない。だが、日本の場合、少年による殺人事件はそれほど多くはない。むしろ、70年以降大きく減少している。同じ質問では裁判官は0%。「裁判官の常識」が通用しないことが浮き彫りになった、という報道もあったが、国際的な流れからいえば、「裁判官の常識」の方が合致しているわけである。

『トゥルー・ブルース』で、少女と弁護人の打ち合わせの場面がある。自分が何をしたか、どうなるのかなどまだ十分考えられない少女。そんな状態で弁護人は、陪審員の前で“こんなに幼い人間が死んでよいのか?”と弁論するが、「何の落ち度もない人間を殺す非道」という検察官の前では、まったく迫力はない(演技の問題なのか、演出の意図なのか不明。アメリカの死刑問題のひとつに不適切な弁護問題がある)。

日本でも裁判員制度がまもなく導入される(ちなみに陪審員制度と裁判員制度は“似て非なるもの”)。法律は冷静なものである。だが、人間は感情に動かされるというのも事実だ。その間を埋めるためにどんなことが必要なのだろうか……。

運営委員 石井小夜子

2006年7月30日