総研ノート:コラム

名刺の話

私はいま、二枚の名刺を使い分けながら仕事をしている。ひとつは「フリージャーナリスト」。もうひとつは「教育総研運営委員」。一九九四年夏、定年退職するまでは「朝日新聞記者」の名刺一枚を頼りに世の中を渡り歩いてきた。

駆け出し記者は、ほとんど例外なく「サツ回り」から出発する。事件、事故が起こる。「それっ」とばかりに現場に駆けつける。警察がひた隠しにしている情報をあの手この手でキャッチしようと躍起になる。「抜いた、抜かれた」の結構厳しい日々だ。その際、取材の拠点になるのが、記者クラブ。新人もベテランもここで同業他社の記者とやや不思議な人間関係を重ねていく。特ダネをものにする。同業他社はしばらくの間、口も聞いてくれない。逆に抜かれる。今度はこちらが不快。冷たい視線を交し合う。しかし、日常は、一転、ごく友好的な付き合いなのだ。「おい、ちょっと行くか」。誘い合ってコーヒーを楽しむ。酒を楽しむ。歓談する。ときに友情を暖める間柄になる場合も少なくない。ただし、スクープになりそうな情報は、こっそり胸の内に隠し持っておいて明かさない。そこが奇妙なところなのだ。

一線を越えないよう踏みとどまりながら隔意のない付き合いを重ねる。そうこうするうちに、はからずも他社の内部事情をのぞいたりもする。そんなとき、私は、自分が身を置く「朝日」が他社に比べ、なお不十分ながら、「自由度」が高いと実感し、嬉しく思うのだった。「社内言論」が比較的、保証されていたのである。私は、とても大事なことだと、いまになって、痛感している。「こんな話をしたら不利益をこうむるのではないか」と疑心暗鬼に悩んだ経験は、極めて少なかった。「言論の自由」をいのちがけで守らなければならないはずの新聞社内に「言論の不自由」がまかり通るようでは、お先真っ暗だ。

これは教師・教員の世界でも同じではないだろうか。教師・教員が「自由」を手に出来ないでいてどうして生徒・子どもにのびのびした時間を差し出せるのか。もちろん、単に個人だけでなく、教師・教員が集まって作る集団・組織においても同様だろう。

私は、現在、手にしている二枚の名刺のうち「フリー」という文字を見詰める度、この言葉を何よりも大事にしなければ、と切実な気持ちになる。そして、権力によって虐げられ続ける教師・教員たちがいま、どんな魔物と向かい合っているのかを思う。その過酷な現実を可能な限り多数の人びとに伝え、しぶとい闘いに応援歌を送りたいと思う。そして、願わくばその世界に「言論の自由」が脈々と生き続けていて欲しいと、心底、切望するのである。

運営委員 村上義雄

2006年5月30日