活動報告:夜間公開研究会

第23回 子どもの視点から「虐待」を考える

■2006年6月12日
井上  仁 日本大学教授(元児童福祉司)
石井小夜子 弁護士
内田 良子 子ども相談室「モモの部屋」主催

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去る6月12日(月)18時半より、子どもの視点から「虐待」を考える、と題して第23回夜間公開研究会が行われた。児童虐待は今日の大きな社会問題のひとつであり、児童虐待防止法も施行されている。しかし、これまで子どもの視点から虐待がもつさまざまな問題点や防止方法について十分に議論が形成されてきたとはいいがたい。実際、児童福祉司が相手にするのは、ほとんどが親(とくに母親)である。また、虐待は、家庭内における親からの暴力等の問題として取り上げられることが多いが、子どもが虐待を受けるのは家庭ばかりではなく、学校においてもありうることであり、実際に多くの深刻なケースが報告されている。

以上のような視点から、井上仁さん(日本大学教授、元児童福祉司)、石井小夜子さん(弁護士)、内田良子さん(子ども相談室「モモの部屋」主催)から虐待の実態や防止等に関して報告がなされ、会場からの意見や提案も交えながら、虐待の防止にとって学校や地域で何ができるのか、議論された。

たとえば児童自立支援施設にいる子どもたちの多くが虐待を受けているのであるが、多くの場合、非行という切り口で彼らの問題が把握されていくことで、子どもからのサインを見逃してしまうこと、そして子ども自身の責任問題として把握されていくことについての指摘がなされた。さまざまな少年事件においても、背後に虐待の事実があるとの指摘は以前からなされてはいるものの、犯罪の部分がクローズアップされ、それに対して厳罰を求める方向で世論が動こうとした場合、ひとりの子どもに対して虐待の被害者であり、同時に犯罪の加害者であるという別々の枠でのとらえ方をすることになっていく。

また、虐待を把握した場合には、児童相談センターのやることは、まずは子どもの安全を第一にさまざまな措置を取ることなのであるが、実際には未就学あるいは小学校低学年といった幼い子が多く、家族からの分離はそれ自体の是非も含めてそううまくはいかず、多くは在宅のままでの支援ということになっていること、大人の考えでは、保護することを第一としやすいが、地域のなかでその子が暮らし続けていくためは何が必要なのか、この点になかなか考えが及ばないのが現実であることが報告された。

つぎに、学校で受けた被害(とくに教師からの暴力等、しかもそれは教室あるいは部活動といういわば密室で起こる)を虐待ととらえていくことの必要性について報告された。たとえば不登校は家庭の問題とされてしまうことが多いが、実際には教師による体罰の直接・間接の経験が背後に存在している場合がある。そして、子どもにとって一番傷つくことは、学校のなかで誰も自分を助けてくれる大人(教師)がいないことなのである。

しかし、文科省の不登校対策といえば、学校復帰に向けた対策であり、そもそもなぜ学校に来られなくなったのかを問う視点が欠けている。数値目標を掲げ、不登校の数を見た目の上で減らすことに力が注がれる。このこと自体が、さらに虐待の追い討ちとなっていることに大人たちはなかなか気がつかない。

以上のように、家庭そして学校における虐待は、子どもから見ると、しつけの一環として、あるいは教育的な指導の一環として認識されていくことが多い。また、虐待として認識していたとしても、子どもは容易には本当のことは言わないものであり、これが虐待を一層見えにくいものにしている。それは、家族を守るためであったり、自尊心を失わないためであったりする。

ところで、なぜ虐待は起こってしまうのか。そこにはもちろんいくつもの個別の事情が入り込んではくるが、少なくとも、大人の側に次のような条件がそろってきたときに発生することがある。ストレスや体の不調、また社会的に孤立した状態にあるとき、そしてそこに大人の意に沿わない子どもの態度・発言が重なったときである。ここに、早い・遅い、できる・できないといった「育ちの標準値」が情報としてもたらされるとき、子どもの成長を緩やかに見ようとする視点が失われ、競争の尺度の上で孤立した親子関係が形成されてくる。

では、どうすればよいのか。今回の公開研究会においては、まずは、地域でいかに子どもを支えていくか、また、親同士のネットワークをつくっていくことがポイントになるということが確認された。問題は、いかに子どもの安全を守るかである。子育て懇談会のようなものを、ごく少数の集まりでもよいから組織していくこと、語ることで問題を共有していくこと、そのことで問題が整理されていくことが大切である。

同時に、子ども自身が、誰かに話したいという気持ちを率直に出せる環境をつくっていくことも大切である。そのときに注意しなければならないことは、子どもは大人が指定した人に話すとは限らないということである。子どもは自分で話す人を選ぶものであり、それは1人いればよいのである。子どもに選ばれた大人が話を聞くということが重要なのである。

2006年6月12日